Vガンダム論 第二章

 


Vガンダム論 第二章 失敗の過程とガンダムシリーズの崩壊

 
1.Vガンダム企画時における対立するコンセプト
Vガンダムには、企画段階において、決定的に異なる2つの方向性があった。

私が考えるに、富野監督が言うようなサンライズの経営譲渡問題や、バンダイ役員の横暴、スタッフのスキルなどの問題以上に、本質的な問題であったと思う。



その二つの方向性とは、マーケティングの視点と、作家性の視点の対立である。

・マーケティングの観点:ディズニーや宮崎アニメが対象とする13歳くらいまでを取り込む。

・作家の視点:ギロチンと死刑執行人が奏でる鈴の音を中心的なイメージとし、女王マリアとエンジェル・ハイロゥによる人類の救済と幼児化を描く。


この2つは、両立が大変難しいのは、明らかであろう。


宮崎アニメやディズニーアニメで、ギロチンや拷問、処刑シーンがあるだろうか?

これこそが、Vガンダムが抱えていた、最も本質的な困難ではないだろうか?

しかし、この、相反する2つの方向性にも、ただひとつ、共通点があった。

それは、従来のガンダムシリーズという枠組みを壊すという点である。

その意味では、第一章でみたように、ガンダム世界をロジカルに破壊するという主旨とも一致していた。


以下、2つの観点を、富野監督の言葉で検証しよう。


@マーケティングの観点

Vガンダムの企画においては、他のガンダムシリーズと異なるいくつかの特徴があった。

ひとつは、これまでよりも低年齢層をターゲットとする作品であったということだ。

「宮崎アニメとかディズニーのラインがあるとするなら、そのあたりを取り込んでみたい。そんなロボットものをやってみたいというのが あるんです。」

「実は、宮崎アニメとかディズニー・アニメは、ロボット・アニメで使う年齢を使っていないんですよね、」

「12〜13歳という、人間の感性がいちばん鋭敏な時期の、しかも皆が最低限の共有体験をもっている年代を描いたほうが、よほど生き
生きとしますし、見る人の共感も得られるんですよ。だから、できるなら次はそこでやってみたい。」(92年10月号)



当時、SDガンダムで育った子供たちに対してアピールするガンダムという意図が考えられていた。

また、宮崎アニメやディズニーアニメの対象年齢にある子供たちを奪おうという意図もあったという。

つまり、マーケティングとしては、低年齢層をターゲットとしていた。

そのため、主人公の年齢は、13歳に設定された。また、主人公も明るくすこやかな人物が設定された。

A作家の視点
一方、富野監督自らのイメージとしては、「ギロチン」をテーマにしたいという思いがあった。
死刑執行人の鈴の音とともに現われるギロチンという、美しくも残酷なイメージ。


「一番初期の企画書を書いた段階では、ギロチンだけだったんですよ。
ギロチンさえあれば、戦車を出す必要もなければ、タイヤも出す必要もありません。
『ガンダムワールドの中でのギロチン』というコンセプトだけで、筋は一本シャーッと通っています。

僕だって一応作家のつもりですから、最低それくらいのことは考えますよ。」

「ああ、企画の根本はザンスカールとギロチンとガンダムか」と、思い出しました。
あとはそこに、マリア主義がはいってきて、それにエンジェル・ハイロゥがある。それで全部です。

これで僕、一年作れます。」

「ザンスカールと、ギロチンと、ファラがいてくれたら、僕には十分でした。
ギロチンを使っていた中世ヨーロッパの死刑執行人について、当時の社会的な立ち居様というのは調べました。ファラは、その上で作っていったキャラクターです。」





以上見たように、Vガンダムは企画の段階で、既に難しい問題にぶち当たっていたと思う。

ディズニーアニメや宮崎アニメの対象年齢に対して、ギロチンと死刑執行人をテーマにした明るい少年のアニメ・・

なかなか想像するのは難しいのではないだろうか・・



2.実際の作業進行時に発生した問題
上記のように、もともとVガンダムは、企画時点で既に分裂する可能性がある難しい内容を持っていたのに加え、さらに解決を困難にする要因があった。

それは、富野監督のVガンダムへの関わり方と、サンライズとバンダイという会社間の問題であった。



@作品の方向性への迷い・・バンダイの役員の強権発動

富野監督自身も、どっちの路線にするのか思い悩んでいたふしがある。

企画段階では、ディズニー路線とギロチン路線のイメージが混在していた。


92年11月のインタビューでは、とにかくディズニー路線のとりこみを言っていた。

そして、その線にしたがって、題名も「Vガンダム」という子供っぽい名前に決め、キャラやメカのデザインも、今までのガンダムシリーズよりも対象年齢を下げた。

一方、ストーリー的には、7話目に早くも拷問とギロチンによる首の切断が描かれる。

ストーリーと、キャラやメカが与える明るいイメージにギャップが生じ始めていた。


ディズニー路線なのか、ギロチン路線なのか・・ギロチンと拷問を出した段階で、普通は、少年層の取り込みをあきらめたと考えるべきだろう。

ところが、93年1月時点で、富野監督はバンダイの役員の厳命を受け、宇宙戦艦を登場させる必要に迫られ、結果として、バイク戦艦を登場させることになる。


「もう一人の陰のプロデューサーがいるわけです。それは当時のバンダイの人物なんですけれども、その彼が強権を発動してきたために、バイク戦艦みたいなバカなものまでださなければならないことになったわけです。

製作が始まった頃になて、僕は生まれて初めてバンダイ本社に呼びつけられて、その役員から直に「戦艦を出せ」と言われました。
「本当に戦艦を地上でも浮かせて飛ばすというのなら、バイクだって空飛んでいいんでしょう?」と言ったら、「飛ばしてよ」と言われ、「本当ですね」という話になりました。

そんなふうに、『Vガンダム』にはもう一人の、絶対権力を発揮できるプロデューサーともいうべき人物がいたのです。だから、そういう形で作られたものが、あらゆるデザイン論の中に現れてきたというのは、あれは基本的にバンダイの仕事です。それは強権発動であって、「それをやってくれなければ、あんたには降りてもらう」と言われました。本当にバイク戦艦でいいのかと言ったら、「かっこいいじゃないですか」という返事でした。


経営ということを考えている自分を、クリエーターだと思い込んでいる大人というのはすごいものだな、と思いました。自分が狂っている
とは、今日現在までも絶対に思っていない方ですから、そのことのすごさというのは、企業を滅ぼすし、国家も滅ぼすと思いますね。」
(それがVガンダムだ!より)



バンダイの役員から何と言われたか、別な本からも引用しよう。


「子供は戦艦のようなものが好きなんだよ。あなたにはそれがわかっていない。戦艦大和みたいなのがでて、カメラがガッーとまわりこむような絵は、格好いいじゃないですか。それと、戦隊物的なものもやってほしいな。」

戦隊物というのは、バンダイがメイン・スポンサーになっている作品『ゴレンジャー』みたいなスタイルをさす。隊員物のことだ。

「ガンダム5機をそろえて、出せということですか」

「そうだ」

その管理職の男は、自信のある実績と役職にいたから、職能を発揮してきたのだ。彼のそういった性格は二十年以上前から知っていたので、驚きはしなかったが、悔しくはあった。

そんな要求をつきつけられるというのは、こちらに力がないからである。実績をしめしつづけていれば、彼だってそんな要求はしてこない。

「なら、地上をはしる戦艦というのも出しますよ。それでもいいんですか?」

まさかというセリフをぼくは吐いてしまっていたが、いくらなんでもそれには応じないだろうというぼくの甘さもあった。

「いいじゃないですか」

「タイヤ履かせますよ。戦艦に」

「やってよ」」




「そういう『ガンダム』とは無縁だったような人が、いまだに『ガンダム』関連のグッズを作って商売をしているというのを、自分でどう思っているのでしょうかね。」


バイク戦艦も登場することになり、富野監督は、ここで、マンガ的な路線に突き進まざるをえなくなった。

一方、戦隊ものという要請を受けたためか、ゲーム慣れした子供たちに受けるように、ガンダムを複数登場させ、すぐに壊れて、交換させながら戦うことにした。

おそらく、これらの妥協の中には、もともと富野監督自身にあった、低少年向けディズニー路線というマーケティングの観点からのイメージも関与していたのではなかろうか?


ともかく、これにより、ガンダム的な世界観は完全に崩れた。

もともと旧来のガンダム路線からの脱皮を目指した作品ではあったが・・



「実は、つい最近までスタジオ全体が試行錯誤の連続だったんです。それが2週間前になって、ガラッと変わりました。というのも製作が進むにつれて、今まではっきりとしなかった「Vガンダム」の世界、コンセプトがやっと見えてきたからなんです。ですから、少し前に受けたインタビューのときとはかなり考え方が違ってきてます。

とにかくまずテレビアニメの原点に戻って、楽しいロボットアニメものにしたい。」(ニュータイプ93年4月(インタビュー実施は2月))


つまり、ディズニー路線に決定したわけだ。

しかし、・・同じインタビューでこうも言っている。


「1クール目はすでに製作が先行していたので、少し昔のガンダムを引きずっている部分はありますが、そうはいっても、違う雰囲気は見えると思います。」


つまり、既にギロチンや拷問のシーンは製作されていたのだろう。


ギロチンや拷問シーンを取り込みながらも、ディズニー路線を目指す子供向けTVアニメ作品・・


このVガンダムの奇妙なスタンスは、その後も修正されることなく、最後には13歳の少年が母親の生首を持つという、テレビ向けアニメらしからぬシーンにまで突き進むこととなる。

「どうやらVガンダムで僕は、なんか別のことをやろうとしたというのは事実らしいんですよね。結局、2クールの頃からだろうと思うのですが、いろんなことに気がつきはじめて、軌道修正をしていって、テレビパターン?そうテレビとしての作り方に戻していく努力をすごくしたという意識があります。」

「僕の中に、とても怖い話にする予定がどっかにあったらしいというのを、今になってちょっと感じますね。それが結局、Vガンでは、それもできなくなってしまうくらいに混乱してしまった。」

本当は、どこまで怖い話になる予定だったのだろうか?


この、ディズニー路線とギロチン路線の、悪く言えばどっちつかずの設定に対し、さらに問題を難しくしたのは、富野監督とスタッフの関係であった。



A富野監督のVガンダムへの関わり
富野監督は、もともとF91シリーズをテレビでやりたかった。あくまでも映画はその前宣伝でしかなかった。
ところが、実際にはテレビシリーズは作成されなかった。

だが、富野監督本人はあきらめきれず、Vガンダム製作が始まった段階でも、まだF91の続編との並行作業を考えている。

「Vガンダムをマンガチックにでき、完全に色合いの違うガンダムがつくれたならば、かなりずうずうしいですが、F91以後のガンダムが別にあって、ひょっとしたら来年2本立てができるかもしれません。

もちろんF91を継承した物語は当然あり、それをつくる機会を狙っているのです。」(ニュータイプ93年4月号)

おそらくこのためだろうが、富野監督は、Vガンダムからは早めに抜けようと考えていた。


「実は当初の構想として、なるべくなら、僕は途中で抜けるつもりでいたんだよね。とくに1クールのころ。各担当シナリオライター、担当演出で転がしていけるようにしたかったんですよ。だけれども、初めの6本くらいで打ちのめされたモンで、続けちゃいました。」(Vガンダム大事典より)


富野監督との協業経験がないスタッフ達に対し、実行権限を与えたが、スタッフのスキルの問題もあり、うまくいかなかったという。

「実は今回のVガンに参加するまで、スタッフの若い世代が知らなかったっていうことが、山積みなんです。そのくらいみなさん基礎学力がなかった。

総合的にはこういう言い方です。各論にするとね、ちょっと個人攻撃になっちゃうから、というスタッフが大半だったと思ってください。

僕はその事実を見落としていて、個々の才能をとにかく取り上げようと思ったんで、それでひどい目にあったんです。」(Vガンダム大事典より)



しかし、先ほど見たように、もともとVガンダムは非常に難しい企画であった。

ディズニーや宮崎アニメの視聴者に対し、ギロチンや拷問シーンを見せていく・・おそらく、スタッフ達も、富野監督の意図をつかめなかったと思われる。

一方では、ディズニーアニメの年齢層をターゲットとするといわれ、一方ではギロチンや拷問が登場するシナリオを作り、スタッフに任せるといわれても、どっちの方向に話を持っていけばいいのか・・

そもそも、意図をつかめというが無理だろう。
それでも、富野監督との作業経験が豊富なスタッフ達なら、うまくコントロールできたのだろうが、若いスタッフ達は、富野監督のイメージをはかりかねながらも、忠実に表現しようとするのが精一杯だったろう。

結局、富野監督は第一シーズンを終えた時点で、自分が全面的に主導権をとる決意をする。

「もう一つ大きなミスがあるとすれば、テレビのバージョンの仕事を始める前に、僕が考える時間がひどくあったために、内容が多くなってしまった。

そうして頭の中にあった物を、みんなに振り分けていって、みんなに書かせたいと思ったんですよ。

だけど、結局それがまるで化けなかったので、2クール目の中頃から、言っちゃえば腹立てて全部の仕切りを僕がしちゃった。そういうことです。」(Vガンダム大事典より)



その結果、スタッフのスキルもあがったが、最終的には、Vガンダムの打ち上げ時に、スタッフ達は富野監督に謝りにきたという。

「『Vガンダム』の打ち上げの時のことで、ひとつすごくよく覚えていることがあります。何人かのスタッフに、謝られたんです。僕の方が謝られたんですよ。思い至らなくてすみませんでしたとか、こんなふうにしか撮影できなくて申し訳ありませんでした、と。

僕は、後にも先にも、あんなふうな打ち上げはあの時だけです。」(それがVガンダムだ!より)


3.ガンダムシリーズの崩壊
第一章でみたように、富野監督の意識の中では、論理的に宇宙世紀の終焉をVガンダムで描こうという意識があったと思われる。

また、マーケティングの観点からも、ディズニーアニメや宮崎アニメの路線を狙い、ガンダムシリーズを脱皮しようという意識はあった。

ところが、実際には、上述したように、ディズニー路線かギロチン路線かで迷い、さらにはバンダイの強権発動やスタッフのマネージメントの問題もあり、評価が難しい作品となってしまった。

「とにかく視聴者に伝わっていないし、伝わるような作り方がとにかく完全にできなかったっていうのがあります。という意味では、典型的に失敗したシリーズだと思っています。」

「作品論的な面で評価できることというのは基本的にあるとは思えないのが『Vガンダム』という作品です。」


「ここで改めて、俯瞰的に作品を思い起こせば、やはりこうまで作家性がない人間に、それこそ分裂症気味になっている人間にやらせたら、それはこんなふうにしかならないし、もはや作品の評価論にさえなりません。

だから、本来こんなものはDVDにしてはいけない。そういうところに話を落としておくのが、一番正しいのではないかと思います。

そして、その上で、こんなものをDVDにしてしまえるというのは、どういうことなのかを考えてほしいし、「DVDを作っているおれたちが、今やっていることは、間違っているんだよね。これが商売になるっていうのはおかしいんだよね」と考えてほしいのです。

つまり、「買う奴もおかしいし、売ってる奴もおかしい。だから、これはもう少しなんとかしようよ、お互いに」ということです。

ならば、一体どうしたらいいんだと考える時に、問題点というのは、この『Vガンダム』の中に全部載っているはずなんです。」


さて、Vガンダムの最終回の作品コンセプトは、「現実にたいする僕のうらみつらみを込めたものになって、作品として終らせるというものにはなっていなかった。」という。


そして、富野監督は、ガンダムシリーズから離れることになる。

「これでガンダムを潰すぞ、とも覚悟した。また、潰れるだろうとも思った」


しかし、バンダイがガンダムを潰すはずもなかった。


富野監督は、次作のガンダムでは、ただのプロレスごっこだけさせることを厳命する。

バンダイにガンダムシリーズの魂を奪われた、富野監督の最後の意地だったろう。


『Vガン』の製作の中盤にはいって、サンライズのトップから、

「来年もおなじ放送枠で、ガンダムをやることになったので、だれを総監督にしたらいい?」

「Vガンで、ガンダムは潰れたんだぜ?」

「やるしかないじゃないか・・ほかにないんだから・・」

そのトップのしかつめらしい返答に、ぼくは、今川泰弘くんの演出手法の元気さを買い、それで、ガンダムをレスキューしてもらおうと考えた。

「どうせやるなら完全なプロレス物にしなければならない。過去の経緯などは踏まえないものをつくらせろよ。Vガンでメチャメチャにしたんだから、それはできるはずだ」

そこまで答えたぼくは、まだ元気がのこっていた。プロダクション経営を考えれば、という正気もあったのだから。

しかし、そのようなことを口にする者が、クリエーターであるわけがなかった。ぼくは、本当に堕落して、生気を吐き出しきっていたのだが、そのときには、まだそのことに気づいていなかった。」




同じ経緯を、他の著書では、こうも書いている。

「「こういう状況なんだから、スタジオワークに手を出させないためには、プロレスをやんなさい」

「マジにプロレスだよ。それ以外のこと絶対にやっちゃだめだよ。」

プロレスまでやってみせたら、その人物(バンダイの役員)に対して歯止めがかかるだろうという楽観論を持ったんです。実際にはその後も続くわけですけれ
ども。」


ガンダムにプロレスをやらせることで、経営の問題を解決する一方、バンダイの役員に歯止めをかけようという戦略。

こうして「Gガンダム」が生まれた。



一方、富野監督は、精神的な病にかかり、眩暈と耳鳴りに悩まされるようになる・・・



このようにして、もともとの狙い通りとはいえ、誰もが予想しなかった形で、ガンダムシリーズは終わりを継げた。

これ以降は、ガンダムという名前こそ使えど、基本的には別な世界の物語である。

 


Vガンダムのページに戻る