天空の城 ラピュタ論
第三章 天空の城ラピュタとはどういう物語であったか


さて、ここからが本論である。
少女像と少年像を踏まえたうえで、天空の城ラピュタとはどういう物語であったのか?

まず、以下の事実を前提に考える必要がある。

宮崎駿監督にとって、あれほど多大な影響を及ぼした母が、ナウシカの映画作成時に亡くなったということである。

この点について、宮崎至朗氏はこう語る。

「(母が亡くなった)翌年、ナウシカはヒットした。あと1年長生きしてくれたらと、心から残念に思う。駿兄貴も、きっと私以上にそう思っているに違いない。「天空の城ラピュタ」、文字どおり天空の城にて、オフクロが心ゆくまでのこの映画を楽しんでくれることを願わずにはいられない。」


そして、母をなくした宮崎駿監督が、作ろうとした最初の作品が、天空の城ラピュタであった。

そこでは、ふたつの形で、母は登場する。

一人は、これまでの宮崎アニメにつきものの、母親的な少女であるヒロインであるシータ。

もう一人は、亡くなったばかりの母親そっくりの、元気な老婆であるドーラ。

そして、宮崎駿少年の分身(影)である、理想的な少年パズーは、この二人それぞれと、冒険をともにする

ときには、少女シータと、ときには老婆ドーラと。

ここで、注目すべきことのひとつは、パズーは、決して、シータと恋仲になるわけではないということである

この点について、ラピュタ到着時に、紐で結ばれた二人が芝生を転げまわって抱き合って顔を見せ合うシーンで、普通はキスをするので
はないかとインタビューで問われたとき、以下のように答えている。

「いや、しないと思います。僕は。そんなことやったら、別の関係になっちゃうから。それはもうハリウッド映画の悪い影響です。」

しかし、実際は、シータは母親のひとつの表現だからではないだろうか?

だからこそ、キスなどにまで関係が踏み込むことはないのではないだろうか?


もうひとつ注目すべきことは、ドーラの寝室にある、ドーラの若かりし頃の、少女の写真である。

ここで表現されているのは、年老いた気丈な母親が、若く、元気な少女時代もあったということだ。


さて、ここまでの論点を全てあわせると、何が導かれるだろうか

・若い頃から体を悪くしていた母親がなくなったということ
・なくなる直前の母親を投影した老婆ドーラにも、かつては寝室の写真のような、元気な少女時代があったということ
・少女シータは、母性豊かであるということ
・少年パズーは、宮崎少年の、ありたかった姿であるということ


これらをあわせると、ラピュタという作品のポイントは、次のように言えないだろうか


ラピュタの物語とは、元気で勇気ある少年時代の(空想上の)自分と、体を悪くする前の元気な少女時代の母親とが、一緒に冒険を繰り広げる物語である

つまり、母がなくなったのをうけ、宮崎監督は、一方ではドーラとして晩年の母を表現し、一方ではシータとして少女時代の母を登場させ、勇気ある元気な少年(こうありたかった、母に見せたかった自分)が、そのぞれぞれと冒険を繰り広げる作品を作ることで、母への愛借や追悼の思いを込めたのだろう。


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