もののけ姫 vs エヴァンゲリオン (宮崎監督と庵野監督:97年夏の師弟対決を中心に)
ここでは、宮崎監督と庵野監督の発言について、出会いから、お互いの批判、97年夏の「もののけ姫」と「THE END OF EVANGELION」の同時公開による対決といった部分をまとめてみようと思います。お互いの人柄や、作家としてのスタンス、スタジオジブリの後継者問題などいろいろな点が見えると思います。
とくに「もののけ姫」がよくも悪くも異様に気合が入った作品であったのは、間違いなく「エヴァンゲリオン」との直接対決の影響があったと思います。(弟子にいろいろ批判された怒りもあるでしょう)。これを機会に、宮崎監督の作品には力が戻り、ジブリの世界戦略ともあいまって、宮崎監督は世界的な著名人へとなっていきます。
今回は発言集ですが、私としては、お互いの作品の比較を別途作成中です。
なお、二人のインタビュー記事の引用に入る前に、まず、「デラべっぴん」に掲載されたOLD PINK氏の解釈が面白いので序論として載せます。
以下、緑の文は私のコメントです。
インタビュー中の黄色はインタビューアーの言葉です。
0.宮崎監督と庵野監督(デラべっぴん96年8月号掲載 エヴァ都市伝説より一部抜粋)
宮崎監督と庵野監督の師弟関係、アニメに対するスタンスの伝授など、二人のインタビューを見ていく上でも有効な視点である。
−以下、引用部分−
庵野監督は、「エヴァ」が自分の心象風景を描いた作品であると繰り返し述べている。クリエイターとて人の子。作品はきわめてパーソナルな動機から作られていることが多い。ここでは、庵野監督にとっての現実世界=アニメ界に即して「エヴァ」という作品を読み解いてみることにしよう。
人類補完計画は現実に進行している。これは冗談ではない。シンジ=庵野監督から見て、碇ゲンドウ司令官は宮崎駿監督の化身である。宮崎ゲンドウの右後方には常に高畑勲監督が立ち、宮崎氏を補佐している。
高畑監督と宮崎監督は理想のアニメ映画を作るために、60年代は東映動画(=旧東京市)、70年代は日本アニメーションやテレコムなど複数のスタジオ(=第二新東京市)を遍歴してきた。スタジオジブリとは彼ら二人のユートピア=第三新東映動画なのである。
時に、西暦1983年。庵野氏はTVアニメ「超時空要塞マクロス」で異常にテンションが高いメカ描写をやっていたのが注目され、宮崎駿監督作品「風の谷のナウシカ」の作画作業に招かれた。
この時の宮崎監督と庵野氏の出会いが、まさしく「エヴァ」第壱話の父子対面のシーンである。
「カットを上げろ!」「ぼくが描くの?そんなの・・できっこないよ!巨神兵なんて描けるわけないよ!!」「描くなら早くしろ。でなければ、帰れ!」
挙げ句、庵野氏は原画作業のしんがりまで居残り、無人と化したスタジオで巨神兵を延々と描くハメに陥った。
宮崎監督が庵野氏に与えた可能性とは、物としては動画机であった。
また、心の面でいえば「アニメを作り続けることの意義」であった。シンジの「なぜエヴァに乗るのか?という自問は庵野監督の「なぜ動画机に向かうのか」「なぜアニメーションを作るのか?」という問いかけにおきかえることができる。それは飽食の今にあって、すべてのアニメーション演出家に共通する巨大な苦悩なのだから。
当然、ゼーレの賢人会議とは、アニメにお金を投資して儲けようとしている人々のことである。
宮崎監督は彼らに従うフリをしながら、どこかで彼らの裏をかいて人類の補完を進め、着々と成果を収めている。
使徒とは、人間が真にあるべき姿から人々を引き離そうとする邪悪な存在である。宮崎司令の中では、それは「良くないアニメーション」となる。使徒は毎回姿を変えては、奇抜な戦法で戦いを挑んでくる。ある時は宇宙戦艦。また、ある時はモビルスーツ。そしてまたある時はロリータ美少女。それら人民の敵を、動画机に搭乗した若きアニメーターに撃滅されるのが、特務機関ジブリの大きな任務なのだ。
庵野監督がアニメ界を上の説のようにとらえているとは考えられないだろうか?
1.出会い(風の谷のナウシカ〜クシャナ戦記の拒絶まで)・・1984年ロマンアルバム「風の谷のナウシカ」より庵野氏インタビュー全文掲載、1996年「スキゾ・エヴァンゲリオン」より一部抜粋
庵野さんがナウシカをやるようになったきっかけはなんですか?
「ぼく自身、宮崎さんのファンで、どうしてもナウシカをやりたくて。「マクロスの演出の高山(文彦)さんが昔トップ(クラフト)にいた方でデスクの酒井さんに紹介してもらったんです。で、オーディションを受けることになって原画とDAICONのビデオ見てもらい、使ってもらえることになったんです。」
庵野さんは巨神兵のシーンを担当されたと聞いたのですが。
「ええ。でも初めはBパートの頭の空中戦のコンテを見せられて『こういうのやりませんか?』っていう話だったんですけど、巨神兵のシーンをだれもやりたがらないっていうんでやってみないかという話になりまして、やらせていただけるんならなんでもやりますって感じで(笑)。宮崎さんは話術がうまいからいかにもおもしろそうに話すんですよ。まずレイアウト用紙にイメージイラストをかいて見せられて『巨神兵がドロドロと溶けながらゆっくり動きつつ、あちこちから煙のような蒸気を出して2回ほど光線を吐く!バクハツもある!!』って、話だけ聞くと非常におもしろそうなんですね。で、やってみてから初めて『こ、こんなに大変なカットだったのか!』ってね(笑)」
全部で何カットほど担当されたのですか?
「総カット数35カットだと思います。ラストの巨神兵のシーンと、風の谷の城で成長する巨神兵にクワトロが話しかけるシーンです。」
巨神兵のデザインはきまっていたのですか?
「いいえ。簡単なものはありましたが、最終的にはぼくがデザインしたという感じです。でも人物がダメで全部宮崎さんに「お願いします」って描いていただきました(笑)きつかったけど、また宮崎さんといっしょに仕事をさせていただきたいです。あまりお役にたてなかったから・・・でも宮崎さんから『もういいわい!』といわれるかも(笑)」
(以上、風の谷のナウシカ ロマンアルバムより)
宮さんからすれば、渡りに船なんですよ。「巨神兵」を描くアニメーターがいなかったんで。
こんな大変なのを誰にやらそうかと思っていたら、ノコノコ若いのがやってきて。
だって一番派手なクライマックスですよ。すごい重要なシーンじゃないですか。
ええ、よくこんな素人にやらせたなと思って。
あとで宮さんを知っている人に聞いたら、「よくやらせたな」。「動画の経験もないやつに、いきなり原画をやらせるなんてことは、宮さんはしない」と。
よっぽど人手不足だったんでしょうね。時間もなかったし、運もよかったと思います。
それで、いろいろ伝説が残ってますね。宮崎監督にすごい描き直しくらったとか。
いや、人物がまさかあんなに描けないとは思わなかったって(笑)。
巨神兵の横のクシャナが、なかなかうまくいかなかったとか。
いや、人物はまるで描けません。メカやエフェクト専門でしたね。宮さんもまさか、メカが描けて人物がまるでダメといタイプがホントにいるとは思わなかったらしくて。最初はまとめてキャラも描かせてたんですが、そのうち、「人間、あまり得意じゃないね」「人間ヘタだね。」「人間描けないね」「もういい。マルチョンで描いとけ!あとはオレがやるから」「この未熟者め!」と(笑)。
結局巨神兵や戦車とか爆発等は僕が全部描いて、キャラだけはラフで丸チョン。それを宮さんが第二原画で描くという。ド生意気ですよね(笑)。ド新人のくせに超生意気でしたね(笑)。最初の頃は宮さんの前で上がってたくせに、途中からタメ口きいてたりしましたからね。そんなバカで生意気なところが良かったんでしょうね。逆に親しくしてもらいました。
それで宮崎さんという人を見て、どういうふうに思ったんですか。
いや、すごい人です。僕の第二の師匠です。
どういうところが一番?
いや、もう全部ですよ。宮さんはすごいです。アニメーターとしては、天才ですね。スピードもアイデアもテクニックも。あとは思想的な部分とか、やっぱりすごいと。
思想的な部分がすごい?
物の作り方とか、考え方とかからスタートして、技術的なものまで。僕はかなり影響をうけています。
宮崎さんに言われて、今まで残っている言葉は、何かあります?
確か毛沢東の言葉だと思うんですけれども。物をなし遂げる3つの条件っていって、若いこと、貧乏であること、あとは無名であること。
この3つが揃っていればできるというのを言ってましたね。僕らが「王立宇宙軍」を製作したときも、その意味で応援してくれたんです。若い連中がそういうことをするのはけっこうなことだと。
(以上、スキゾ・エヴァンゲリオン、パラノ・エヴァンゲリオンより)
なお、庵野監督は、宮崎監督に、風の谷のナウシカの外伝として、クシャナを主人公とした、「クシャナ戦記」を作らせて欲しいと頼むが、宮崎駿監督は「最低になるのに決まっている」と言って拒絶している。
(このときの宮崎駿監督の言葉は、ナウシカのページにのせた、「庵野監督によるクシャナ戦記の拒絶」参照のこと。)
2.エヴァンゲリオンの成功と、庵野秀明氏からの宮崎アニメ・スタジオジブリ批判(1996年 スキゾ・エヴァンゲリオンより一部抜粋)
宮崎さんは・・昔はよかったんですけれどね(笑)。
次回作の「もののけ姫」は期待してるんですけれどね。聞いてる範囲から判断すると期待できる作品みたいですよ。でも、終わってみないとわからないけれど、どうなるか。
どの辺で関心がきれましたか。
一般向けのつまらない日本映画の仲間入りをしてしまいましたね。僕はもう物足りなさしか残らないですけれど。「トトロ」は良かったですけれど、そのあとはつまらなくなった。
後継者っていう意味では、宮崎さんもずっと後継者っていうことを言っていて・・。
僕を欲しいでしょうね。宮さんは(笑)。
後継者と言ってるんだけど、どうも育っていない感じがする。
育っているんですか、ジブリで。
いえ、ジブリじゃ育ちません。育つ環境じゃないですから。
強力すぎますもんね。上が。
あそこは依存でできている会社ですから。まあ、宮崎さんがいなくなったらあそこはもう無力です。
さっきの話まで戻りますが、宮崎駿作品は、どのあたりで嫌になってきたわけですか?
『トトロ』まではまだ良かったですね。『魔女の宅急便』あたりからかな。
『紅の豚』はもうダメです。あれが宮崎さんのプライベート・フィルムみたいですけれど、ダメでした。
僕の感覚だと、パンツを脱いでいないんですよ。なんか、膝までずらしている感じはあるんですが、あとは足からパンツを抜くかどうか。
パンツを捨てて裸で踊れば、いよいよ宮崎さんは引退を決意したかなと思います。
庵野さんは毎回パンツを脱がないと気がすまないでしょう。
自分のリアリティなんて自分しかないんですよね。うけなきゃもう裸で踊るしかない。ストリップしかないと思います。
基本的に作家のやっていることって、オナニー・ショウですから。それでしかないと思うんですよ。
あとは下世話な話ですが、四畳半で一人シコシコやっているのが絵になるかっていう問題ですね。
それが舞台の上に立って、パーッとやった方は、僕のオナニーはショウになりますっていうふうに。で、客は顔にかけてくださいってね、それで顔にかけてあげる。(エヴァンゲリオンの)最終回はスペルマじゃなくってバケツの水をかけたようなものです。スペルマを待っていた人たちは「違うこんなんじゃない!!」と怒る。
あれ(マンガ版『ナウシカ』の7巻)が僕と同じものだって感じがしたんですけれど、『ナウシカ』も、もうきちんとしてしまって。しょうがないんですね。『ナウシカ』の7巻と同じテーマでやらなきゃしょうがない。
あれは生きていけないわけですよね、旧人類としてのナウシカが。
共生を否定しましたね。自分達が生き残るためにナウシカは血で汚れてよかったです。忌み嫌っていた巨神兵の火で破壊しなければいけない業の深さ、これがいいんですよ(笑)。もう、いつわりのない宮崎駿のポリシーが出ていてとにかくあそこではパンツを脱いでますから。
マンガではパンツを脱いでチンチンを立てている(笑)。同じことをやってくれるように「もののけ姫」では期待している。いくら小さいとはいえ、やっぱりチンチンを立ててもらわないと。大きい小さいは関係ないんだから。立てたチンコの心意気ですよ。人前で立つってことはたいしたもんですよ。それでどんなに小さくても胸をはってショウを見せるのがすごいわけです。
自分のチンチンをですよ。
いや、みっともないとは思いますよ。でも、やるんです。みっともなくてもかまわない。自分のチンチンが小さいのは、これはもうしょうがないことだから。かといって、そこでペニスケースとか電動コケシでごまかすっていうのもダメ。小さいからといっても代用品で女を喜ばせるどうかと思う。
(注)ここで言っている女を喜ばすこと=観客を喜ばすことの意味であり、チンチンを立てる=自分の内面性をどこまで本当にさらけだすということである(たぶん・・)。この点については、私なりに、宮崎監督については、宮崎監督論、庵野監督についてはエヴァンゲリオンのオリジナルについてに別途まとめたので、興味ある方は参照ください。
また、スタジオジブリの後継者問題などは、現在でも解決していないと思われる。
3.宮崎駿からのエヴァンゲリオン批判(1997年)・・「風の帰る場所」より一部抜粋
エヴァンゲリオンのヒットと、庵野監督からのジブリ批判を受け、「もののけ姫」には一種異様な気合がはいっていた。ニュータイプMK2での「ポスト・エヴァンゲリオン特集」では、一言もエヴァンゲリオンについて触れず、「もののけ姫」についてのみ語っていた。「デラべっぴん」の特集でも、エヴァンゲリオンについては「見ていない」としかコメントしなかった。以下は、数少ないエヴァ批判の明言である。
「僕は、人間を罰したいという欲求がものすごくあったんですけど、でもそれは自分が神様になりたいんだと思ってるんだなと。それはヤバイなあと思ったんです。
それから、『新世紀エヴァンゲリオン』なんかは典型的にそうだと思うんだけど、自分の知っている人間以外は嫌いだ、いなくてよいという、だから画面に出さないっていう。そういう要素は自分たちの中にも、ものすごくあるんですよ。
時代がもたらしている、状況がもたらしているそういう気分を野放しにして映画を作ると、これは最低なものになるなと思いましたね。むしろ、全然流行らない人々とか、ドンくさいものに立ち入る部分をはっきり持たないと、その上で人間はなにをやってるのかということを問わないと、これはエライことになるなと思ったんです。
それが、庵野と僕の違うところなんでしょうけれど・・それは、僕が歳をとっているせいか、安保世代だったせいか知りませんけれど」
庵野さんもまだ途中ですからね。全然違うと思いますけれど。
「あいつは実は古典的な人間だと僕は思っているんですけれどね(笑)。無理してるところがあると思ってるんです(笑)。確かに群集シーンを描くのって嫌ですからね。手間ばかりかかって、見栄え悪いし。だけど、それをやっていくうちに・・人間のよい部分をなるべく描こうというふうになっていきました。
だから今回、僕は嫌な部分も描いたけれど、人間のよい部分も描いたつもりです。タタラ場にいる人間たちはいい人ばかりでなくて、愚かな部分もあるし、凶暴な部分もあるっていうふうにしないと、それは人間を描いたことにならないですから。」
どうですか、お弟子さん、庵野秀明の『エヴァンゲリオン』は、宮崎さんから見て。
「いや、3分と観られないですね。観るに堪えないですね」
面白いじゃないですか。
「僕はああいうもの、もういらないんですよ。最初の絵コンテ見ただけで『エライこと始めやがったな、この野郎』って思ったんですけど(笑)。”使徒”とかって聞いたときも、こりゃエライとこに突っ込むなあ、って思ったんですけど、まあ終わってよかったですよね」
でも、ホームページによると、「庵野も映画は2部構成にするのか、可哀想だな」とかって書いてありましたけど。
「それはだって本人からも聞きましたから。テレビシリーズのときに、どういう目に遭ったかってことをね。それで、本当に困ってたから、『逃げろ!』って言ったんですよ。
『本当にやりたくないんですよ』って言っているから、『映画なんて作るな』ってね。すべてを出し切った人間の状態っていうのは自分の経験でわかりますからね。出し切ったときにね、商売上の理由でそれを続けなくちゃいけないってなったら、どういう気分になるかって考えたら、もうこれは本当にものを作るのを続ける気なら、逃げた方がいいですよ。
自分が作ったものに縛られてね、結局大嫌いなおじさんたちの餌食になるだけですから。『おかげさまでビデオが何万本売れました』なんて、そんな最低な奴が、経済欄に顔を出すような最低の国に、日本はなったわけですからね。たまごっちが何個売れたなんてことがね、経済欄に載るなんてもってのほかでしょう」
『エヴァンゲリオン』はご覧になってないんですか?
だから、3分くらいは観ましたって。それで、まあいいやって。
それで、庵野さんに相談受けて「やめろよ」って言えるんですか?
それは言えますよ、一般論として。庵野がどういう状態だったか聞いてましたから。
机の横にフトン敷いて、そこから出たり入ったりしてやっているっていうね。庵野のことだから、どうせ風呂入ってないだろうなとかね(笑)。それはもうわかりますよ。それよりもちょっと心配だったのは、あいつの方がしたたかだと思うんですけど、ああいうのをやってしまうと、自分の作ったものに縛られていくでしょ。
ヤマトとかガンダムとかね。そういうものに、縛られると最悪なことになりますから、なるべく自分が作ったものは、足蹴にして観ないようにして、別なことを始めるっていう・・だって、それで稼いだんだから、その金で姿をくらますこともできるはずなんですから。
それ言うと『私はスタッフを抱えてるから』なんて言うんだけど、『スタッフなんておまえのことなんか考えていないんだから、捨てて出てけばいいんだ』って言って。そういう余計なことはいっぱい言いましたけどね」
(注)宮崎監督は、ここで「エヴァンゲリオン」は3分以上観るに堪えないといっている。また、別のインタビューでは、「見てません」とも言っている。しかし、実際は見ており、最終回を見た直後に庵野氏に電話し、とにかく休むよう伝えたそうである。→資料がどっかいってしまったので、また見つかりしだい追加アップします。
4.対決後・・1997年夏における映画「もののけ姫」VS「THE END OF エヴァンゲリオン」の後で(1997年 アニメージュ別冊「宮崎駿と庵野秀明」より抜粋)
とうとう、「もののけ姫」と「エヴァンゲリオン」の映画で、師弟対決を迎えることとなった。
この時の「もののけ姫」での宮崎監督の気合の入れ方はすさまじく、引退宣言、ラストでのディダラボッチなど、エヴァンゲリオンとの対決(弟子との対決というべきか)からきているのではないかと思わせるものがあった。
結果として、宮崎作品は息を吹き返し、興行的にも日本映画最高記録を達成した。
一方、エヴァンゲリオンはこれをもって完結し、ブームは急激に終息した。
なお、この対談(場所はサハラ砂漠!)はテレビでも当時放映された。「庵野は正直だ。「エヴァ」の映画で、何もないことを証明した」と言われた時の庵野監督の複雑な表情が印象的であった。
宮崎 僕は、これから庵野が何をするかって、簡単に言えないと思うんだけど、庵野の最大の取り柄は、正直に作ることだと思うんだよね。
庵野 はあ(笑)。
宮崎 「エヴァンゲリオン」みたいな正直な映画を作って、何もないことを証明してしまったというぐらいにね。
庵野 ええ、バカ正直ですね。
宮崎 それを僕は、脳化社会がどうのこうのとか、今の若者はとか、そういうふうに切り捨てたくないんだ。とにかく、「エヴァンゲリオン」で庵野が成功したことはよかったと思っている。仕事をするチャンスや発言力が増えるから。あとは「エヴァンゲリオン」の亡霊からなるべく早く抜け出して。「あの『エヴァンゲリオン』の庵野さん」って、これから10年、20年、言われ続けてたら、かなわないものね。
庵野 そうなんですよ。
宮崎 だから、今後一切、『エヴァンゲリオン』に手を出さない方がいいと思う。
庵野 その辺は大丈夫です。もう、ツキモノは落ちましたから。それで、取あえずは少女漫画(彼氏彼女の事情)をやろうと思うんですけれど。(笑)
宮崎 おれと同じような道を歩んでいるな。
庵野 そうなんですよ。後で気がついて嫌だなあと思って。
宮崎 芸がないね(笑)
庵野 ね(笑)
宮崎 あの実写(ラブ&ポップ)は、『エヴァンゲリオン』の厄落としみたいなものなの(笑)?
庵野 はっきり言っちゃえば、そうですね(笑)。
宮崎 このまま『エヴァンゲリオン』で追いまくられたら、庵野は、「エヴァンゲリオンの庵野さん」になってしまうとかさ。そういう危機感に対する、庵野流の体のかわし方だと思ってたんだけど。
庵野さんにとっての出発点はアニメーションよりも、特撮の「ウルトラマン」のわけですね。
宮崎 現実よりも、ブラウン管の中の方が、本当らしいと思ってしまったという連中だもん。
庵野 それは、小学校から中学校ぐらいまでですね。
宮崎 だから、それから、もう抜け出せないんだよ。抜け出せるか、抜け出せないかはともかく、それが今、この世の中がぶつかっている最大の問題を体現しているんだ。
庵野 抜け出せないから、抜け出そうとして、暗中模索で、もがいているんです。
宮崎 抜け出そうとしているの。
庵野 してます、何とか。
宮崎 そうか。それはいいことを聞いた。頑張って。
庵野 なかなかできませんが。でも、そこに、居心地よさも、あまり感じなくなったんですね。ベタベタしてて、嫌だと。アニメにちょっとうんざりというのは、まだそこが残っているから。何か、嫌な気分なんです。妙にリアリティがない。何なんでしょうね。ちょっと言葉にしづらいんですけど。
宮崎 何か、変なほうのことだけ肥大しているという、嫌な感じがする。押井さんは、それを、犬に入れ込むことでバランスをとっているんだ。
庵野 そう思います。僕には、それがないんです。だから、駄目なんです。
宮崎 所帯持つしかないよ。
庵野 チャンネルを切り替えられないんですよ。そこしかなくて。
宮崎 そういう意味では、それで、よくもつね。もたなくなる瞬間も来るんだろうと思うけど。
庵野 「エヴァ」は来ましたね。
宮崎 来てたね。
庵野 ええ。一度、壊れましたから。あれは、こたえましたね。戻ってこれて、よかったと思います(笑)。
宮崎 逃げるのに、覚悟、要るんだよな。
庵野 ええ。
宮崎 でも逃げ方を心得れば、何とかなる。自分で執着しないことだね。一番大事なことは。
庵野 それはありますね。パッと切り捨てられました。どうでもいいや、というように。
宮崎 だから、まだ次、できるよ。その呪縛に縛りつけられなければ。
5.その後
庵野監督は、結局アニメからは離れ、実写の世界へと行った。宮崎監督の庵野批評は、結局「逃げている」。エヴァンゲリオンという作品が、「逃げちゃダメだ!」の連呼から始まったことを踏まえると、まさにゲンドウとシンジの父子関係そのもので、出来すぎである。
また、庵野監督から見ても「千と千尋」が素晴らしい作品であったことがわかる。もののけ姫と違い、肩の力が抜けていると評しているが、「もののけ姫」が異様に気合の入った、悪く言えば肩に力が入った作品であったのは、間違いなく、庵野監督との師弟対決のためであったと私は考える。
そして、この「千と千尋の神隠し」によって、宮崎監督はアカデミー賞を受賞し、世界の著名人の仲間入りを果たすことになる。
宮崎監督
「庵野はそうですねえ、困ったですねえ。自意識の井戸なんか掘り始めてもね、そんなものはただのカタツムリが貝殻の中をウロウロしているようなもんでね、先までいったらなにもないってことはもう十分わかってるんですよ。それなのにまた回るのかっていう。
いや、その・・・『式日』っていう映画を作る前にここでアニメーション作るっていう話がちょっとあって、何度か話したことあるんですけど、庵野は「エヴァンゲリオン」の二番煎じを作るかここで死ぬかっていう状態で、そのとき39歳だったんですよ。
それで僕は『エヴァンゲリオン』の後39歳で死んじゃう、これカッコいいよって言ったんですよ。」
(笑い)むちゃくちゃなことを。
「生き永らえて40代に入るんだったら、『エヴァンゲリオン2』を作り続けるか、そうじゃなくて、誰かのために映画を作るか、その2つの道のどっちかを選ぶしかないって。そうしたら、実写に逃げやがって、あの野郎。あれ、逃げですよ。ただの」
(2001年インタビュー 風の帰る場所より抜粋)
(庵野監督:千と千尋を見て)
面白かったです。肩の力が抜けてて何ともよかったですね。『となりのトトロ』みたいな感じがします。
それと、今まであまり目を向けなかった東南アジアっぽさが良かったです。いわゆるアジアな感じという。宮さん、ここまで心が広くなったんだと思いました(笑)
あと、キャラクターもモデルがいると思うので、その辺も良かったんだと思います。一人の女の子に見せたいというだけで作っていて、すごくシンプルでよかった。実際に観客の顔が見えてていいですね。
老いてますます盛んという感じですが(笑)。
あの歳であれだけのものがまだ描けるなんて、すごいヴァイタリティーですよ。
人によっては『紅の豚』よりは、宮さんの奥の部分が出ていて、自分が出ているんじゃないかといったりもします。
必ず宮さんの分身みたいなキャラクターが出てくるんですけど、今回は釜爺ですよね。
陰で10歳の女の子を助けて見守って、男の子との恋愛まで首を突っみもする(笑)。言ってしまえば、千尋の両親はダメ夫婦なわけじゃないですか。特にお母さんは母親ではなくて、あれは女性ですよね。娘が嫌がっているのをほっといて、旦那の言うことに付いて行ってしまう。ダメな母親として描いていて、父親も基本的には悪い人ではないんですけど、そういうのに無頓着であるという。
あのまま千尋が大人になたら、グレてしまうかもしれないところを、自分が正しい道に導いてやるみたいな役回りです。あんな夫婦にまかせちゃおれん、俺がやってやるというのが表に出ていて(笑)。それが釜爺だと思うんですけど、良かったですね。
ヴィジュアルもすごく良かったです。久しぶりにアニメを観て面白いと思いましたね。アニメっていいなあと思いました。
自分にとっては「もののけ姫」があまり良いものではなかったんです。個人的には別の見方もできるので、面白いんですけど、映画としてそういうのを切り離して観ると、ちょっとキビシかったんですね。それがキビシかった分、今回が余計良く見えるというのはあるのかもしれません。
おにぎり食べるシーンとか良かったですね。宮さんにしては、珍しく食い物がうまそうなシーンでした(笑)。あとカオナシとか釜じいとかも。釜爺は、宮さん本当にあれくらい手が欲しいんだろうなあという願望キャラですね。こっちで絵コンテを描いて、原画をやって、動画をやって・・・と、実際そのくらい働いているんで、更に手が欲しいんでしょうね。あのススワタリ=ジブリのスタッフは大変だなあと思いました(笑)
ヴィジュアルで言えば、いろんな種類の神様がいるというのもナイスでしたね。あれは商売が上手い(笑)。あの手があったかと思いましたね。あれだけいれば、キャラクター商品はよりどりみどりですからね。
悪意を持ってあの映画を語れば、いくらでもアラはあるわけですよ。あそこが変だここがおかしい、この展開は不要だとかですね、でもそういうのは関係ないじゃんという感じがあの映画には漂っていると思います。すごく気分よく観られるように出来ているので、邪念を排除してるような映画だと感じます。
『もののけ姫』よりもずっと宮さんの集大成のような作品という気がしますね。お客さんもいっぱい入っているし。いまさら僕なんかが、とやかく言わなくても大丈夫ですよ。もう必要ないですね。
(2001年 ユリイカ特集 宮崎駿より抜粋)
庵野監督の釜爺評を読んでいると、それが、そのまま庵野監督の行く末を心配している宮崎監督そのものに見えてしまうのは、私だけだろうか。
(補足)
なお、うがった見方だが、誰でも以下の連想をしてしまうであろう。
宮崎監督「逃げやがって、あの野郎」 → ゲンドウ「シンジ、逃げてはいかん」
庵野監督「もう必要ないですね」 → シンジ「僕はいらない子なんだね」
となると、次の焦点は、逃げたシンジ(庵野監督)が、いつ戻るか?である。