かつて、ペプシ・コーラが、コカ・コーラに徹底的な攻撃をしかけ、逆転に成功した時があった。
それは、「コーラ戦争」と呼ばれ、ビジネス史の伝説の一つになっている。
ペプシの社長がみずから執筆した「コーラ戦争に勝った!」は、日本でもベストセラーになったので、読まれた方も多いだろう。
この奇跡の逆転劇の主役の一人がマイケル・ジャクソンであった。
これは、マーケティング史上に残る快挙であるとともに、人気絶頂期のマイケル・ジャクソンが、マーケティングの分野で起こした2つの奇跡(ペプシコーラによるコカコーラの逆転、セガによる任天堂の逆転)のひとつである。
コーラ戦争の概略を示すと以下のようになる。
80年代前半:ペプシ・コーラが、打倒コカ・コーラのため、比較広告(両方を飲ませ、どちらがおいしいか聞くCM)を流し、シェアで猛追した。
(余談だが、この時のペプシのマーケティングを担当が、ジョン・スカリーである。
アップル社のPC、マッキントッシュの産みの親であるスティーブ・ジョブスは、彼の手腕に注目し、「一生、砂糖水を売っていたいのか?」と言って、スカリーをアップル社に引き抜く。
しかし、スカリーは逆にスティーブ・ジョブスをアップル社から追放する。
後に、スティーブ・ジョブズはアップル社に復帰。
i−MAC、i−tune、i-podなど、革新的製品を送り出し、パソコンと音楽業界の在り方そのものも変えた。)
日本でも、見た覚えがある方もいるだろう。
日本のは、たしか、40%がペプシを選びましたという、勝っているといいたいのか負けているといいたいのか、よくわからないCMであった。
ともかく、ペプシは、80年代に入り、シェアを大幅に伸ばしていた。
さらに、ペプシは、コカ・コーラがアメリカの伝統に根ざしている点を逆手にとり、若い世代に訴求することにした。
そこで、選ばれたのが、当時スリラーで話題になっていたマイケル・ジャクソンである。
「コーラ戦争で勝った」では、ペプシと、マイケル・ジャクソンのやりとりがいろいろ明かされているが、大スターとのやりとりの難しさがよくわかる。
マイケルとペプシの間に入る、くせのある代理人。
よくわからないマイケルの真意。
そして、マイケルの、芸術性と自分のイメージへのこだわりなど。
この本を読んでおけば、後にマイケルが様々な契約でもめた話も、大体実態が想像つくようになる。
(例:今年で言えば、オークションをやるといって、カタログまで作ったのにやめたり、復活コンサートも50回といいつつ、マイケルは10回と言ったりといったやりとりがあり、主催者側とマイケルでもめていた。)
ともかく、ペプシは、マイケル側と散々もめながらも、2本のCMを制作する。
1本は、コンサート会場を舞台にしたもの。
しかし、この撮影中に、コンサートシーンの最後の爆発シーンの炎がマイケルにつき、マイケルの髪が燃え上がるハプニングが起きる。
余談だが、この時の事故が、後にマイケルの整形の必要性を生んだとマイケルは言っている。また、マイケルが鎮痛剤を服用するようになったのもこれがきっかであり、彼の体に悪影響をもたらしたとも言われている。
この時のマイケルの事故の様子は「コーラ戦争に勝った!」でもこう描かれている。
「新聞の記事では、髪に火がついたと言っていなかっただろうか?私には頭全体に見える!その炎の大きさといったら!人間松明(にんげんたいまつ)ではないか!このフィルムは決して公表できない。あまりにも恐ろしい」
この恐ろしいフィルムを、マイケルはマスコミに公開するよう要求。
ペプシは、自社のイメージダウンを恐れる。
「(ニュースを見て)私はただ、「どうか神様、私たちの名前を出さないでください。どうかペプシの名を出さないでください」と祈るしかない」
「マイケルのファンは二度とペプシのビンに手を触れようとはしないだろうね」
最後に、ペプシは、マイケルをこうやって説得する。
「あなたは、ジョン・F・ケネディについて考える時、どんなことを思い出しますか?
そう、たいていの人は、ダラスの町での暗殺です。
あまりにも恐ろしい瞬間なので、どうしても忘れられないのです。
もし、マイケルが火傷を負った時のフィルムが公表されるならば、彼はそういうかたちで人々の記憶に残るのではないでしょうか。人々は彼のすばらしい舞台を忘れてしうかもしれません。
頭に火がついた光景があまりにも強い印象を与えるからです。」
こうして、マイケルは、フィルムの公表をあきらめる。
ちなみに、このフィルムはいまだに未公開である(燃える直前や爆発の瞬間までは公開されている)。
マイケルの舞台を忘れさせるほどの映像とは、一体どれほどのものであろうか?
(2009/08/09修正 先月、このページをアップ後すぐ(?)、なぜか、どこからかこの映像が流出(?)したようで、初めてこの映像が明らかになりました・・)
さて、話を戻そう。ペプシとマイケルで制作したもう一本は、街路といわれるもの。
これは、本当に素晴らしいCMであった。
ペプシの社長は言う。
「私は自分のかかわった仕事が、これほどの称賛を受けるとは、夢にも思わなかった。」
この2本でペプシの「新世代の選択(THE CHOICE OF A NEW GENERATION)」という戦略は大成功し、
ペプシは若者に圧倒的な支持を得ることができる。
これが、コカ・コーラのあせりを誘い、コカ・コーラは、今までのコークをやめて、ニュー・コークを発売すると宣言。
しかし、逆にアメリカ人のコカ・コーラへの伝統的イメージを逆なでし、抗議行動が起き、コカ・コーラはシェアを激減。
ペプシ・コーラは、コカ・コーラを逆転することになる。(後にコカ・コーラは、ニュー・コークをやめ、もとのクラシック・コークに戻す)
ペプシは、マイケルの力に感銘を受けつつも、あまりにも苦労が多かったため、マイケルとはこれまでだろうと考える。
ところが、今度は、マイケルからペプシに提案がくる。
マイケルの動機は、自分自身の記録(スリラー)を更新させることだという。
この本は、マイケルが、「今度は世界中を燃え上がらせよう!」と、ペプシの社長に提案するところで終わっている。
(この言葉は、前回はマイケル自身が文字通り燃え上がってしまったことへの、しゃれでもある)
今度は、単なるCM契約ではなく、コンサートのスポンサーも兼ねた、総括的で世界的な契約であった。
この結果、初めてのマイケルのワールド・ツアーである、BADツアーが開催される。
そして、また、ペプシのCMが作られる。
しかし、何といっても、この時の話題は、映画のような、4本ストーリーのものであった。(日本では残念ながら放映されなかった)
この時のマイケルは、世界中でブームを起こす。日本でブームになったのもこの時である。
その後、さらにデンジャラスツアーもペプシは主催。
この時も素晴らしいCMが作られる。
しかし、デンジャラス・ツアーの最後に、マイケルのジョーイ少年との疑惑が発生する。
ペプシは、マイケルをCMに使うのをやめる。
当時、マイケルファンはペプシに不買運動等の抗議を行い、ペプシはシェアを落としたという。
マイケルの少年との和解以降、どの会社も、マイケルを自社のイメージキャラクターに使うことはなくなったが、
ペプシも例外ではなかった。
このようにして、数々の名作を生みだし、ビジネス界でも、音楽界でも伝説を作ったマイケルとペプシの蜜月関係は終わった。
それから15年。
2009年、6月末、アメリカの「TIME」は、マイケル追悼特集号を発売した。
数々の記事や、著名人のコメント等が寄せられ、すぐに完売した。
しかし、私にとって、この「TIME」誌で最も感銘を受け、目がしらを熱くさせられたのは、裏表紙であった。
そこには、この15年間、無関係だったペプシコーラからの言葉が掲げてあった。
「YOU WILL ALWAYS BE THE KING OF POP」
そして、下に小さく「Thank You Michael」
ペプシから、マイケル・ジャクソンへの最後の感謝とお別れの言葉であった。
15年から25年前のことであり、経営陣だって総入れ替えしているであろうに、ペプシ・コーラは、コーラ戦争の中で、自社がマイケルと共に数々の奇跡を起こしたのを忘れていなかった。
(参考)左が、「コーラ戦争に勝った」です。ペプシのCMは、販売されていませんが、デンジャラスのCMの映像の一部は、DVDデンジャラスにも入っています。右は、TIMEの特集です。