マイケル・ジャクソンの多彩な経歴の中でも、もっとも変わったもののひとつが、1996年の、空手団体からの名誉5段の授与および、 名誉総裁への就任であろう。
なぜ、マイケル・ジャクソンが空手団体の総裁に?という驚きは、誰もがもったはずだ。
仕掛け人は、MJJ社つながりで、世界空手道団体連合の朝堂院大覚総裁のようだが、ここでは、実際に空手5段を進呈した、世界空手道連盟士道館に注目したい。
世界空手道連盟士道館というのは、かつて、あの、「巨人の星」や「あしたのジョー」で有名な、漫画家の梶原一騎が会長をつとめていた 。代表は、梶原一騎の漫画に何度も登場している添野館長である。
知っている人は知っていると思うが、極真空手を世に広めた梶原一騎の漫画「空手バカ一代」にも終盤で、添野館長は登場している。(当時は館長ではなく、極真空手のメンバーとして)。その他の梶原氏の漫画にもいくつか出ている。
また、梶原一騎と添野館長が関係している有名なイベントとしては、アントニオ猪木VSウィリー・ウィリアムズのプロレス対極真空手の対決や、一世を風靡したタイガー・マスク(佐山サトル氏)の登場などがある。
ちなみに、士道館は、かつては人気絶頂時のタイガー・マスクにも、空手の名誉2段を授けたことがある。
その時、タイガー・マスクは、こう言ったという。
「わるくない。」
「生みの親の梶原先生が会長、格闘技の鬼・黒崎健時先生が顧問、そして本物の実践カラテマン添野師範ひきいる士道館の黒帯ですからね。」
「5段や6段をホイホイくれるような相手ならこちらで断りますよ」
「地道な2段だからいい」
「カラテばかりでなく、キックでも本場タイにのりこんで大暴れ、ただの一度もダウンしなかったと不死身の伝説がある添野師範とこの段位だからうれしい」
(以上、プロレススーパースター列伝による)
それに対して、マイケル・ジャクソンは、なんと名誉5段である。
いかに、マイケル・ジャクソンの位置づけが高いかわかるであろう。
マイケル・ジャクソンの空手の技術については、添野館長は、どこかで、「マイケルは蹴りがうまかった」と評価していた。あの身体能力の高さを考えると、マイケルの演舞は、一度は見てみたかったものだと思う。
極真空手を創設した大山倍達氏の著作には、よく「ダンサーとは喧嘩をするなという言葉がある」とか、「アメリカ遠征の前には、私もダンスをならった」などの記述があるが、マイケルなら、さぞかし、美しい蹴りを見せてくれただろうと思う。
それはともかく、マイケル・ジャクソンの空手総裁就任は、以下のような文脈で捉えることが可能であることがわかるだろう。
柔道の木村政彦氏がエリオ・グレイシーを破る(1951年)
→プロレスの力道山と柔道の木村政彦の戦い
→力道山やアントニオ猪木出演による梶原一騎の漫画「チャンピオン太」実写放映
→大山倍達氏による極真空手創設
→梶原一騎氏による、極真空手を題材にした「空手バカ一代」の大ヒット
→最強格闘技議論から生まれたアントニオ猪木とウィリー・ウィリアムスの戦い
→梶原一騎氏や添野館長と、極真空手の大山倍達総裁との決裂
→梶原一騎氏、世界空手道連盟士道館の会長へ、添野氏は館長へ。
→梶原一騎やアントニオ猪木による、漫画をベースにしたタイガー・マスクの登場
→タイガー・マスク、世界空手道連盟士道館から2段授与
→タイガー・マスク(佐山氏)による総合格闘技の創設と、ヒクソン・グレイシーの呼び込み
→プロレスとグレイシー柔術の最強論争から、PRIDE開催へ
また、同じく梶原一騎氏の漫画「空手バカ一代」の主役の一人である芦原英幸氏が極真空手から独立して、芦原会館を設立するが、そこから分かれたのが、正道会館を起こす石井館長である。石井館長が、後にK−1を開催する。
つまり、プロレス界、空手界、漫画界、TV界を巻き込んだ、日本の数十年に及ぶ格闘技界の最強論争および、ショウビジネスの世界というものがあり、その流れのひとつが、不発ではあったが、マイケル・ジャクソンの5段授与および総裁就任であった。
梶原一騎氏が生きていたら、自分が会長をやっている世界空手道連盟士道館の新しい総裁マイケル・ジャクソンを漫画に登場させたことは間違いない(「プロレス スーパースター列伝」に添野館長が登場していたように)。
マイケル・ジャクソンを主役にした、「あしたのジョー」や「巨人の星」、「空手バカ一代」を超える名作漫画が描かれたかもしれない。
さて、長くなったが、以上は、蛇足である。
ここからが本題の、なぜ、マイケルが、空手5段や総裁就任を引き受けたか?である。
当時の記者会見では、マイケルが空手を愛しているからとか、空手のオリンピック種目化への協力と説明されたが、そんなことはないであろう。
マイケルは昔から空手をやっていたわけではないし、発表されていた「キックボクシング オールスター・カーニバル チャンピオンリーグ」による空手の演舞も結局やらなかった。
5段授与式の映像を見ても、自分で道着をつけることすら、できなそうである。
(当時のTV映像より)
さて、マイケルが空手5段や総裁就任を受けた決断のひとつのきっかけは、リサ・プレスリーとの結婚と離婚であったと、私は見る。
リサ・プレスリーは、言うまでもなく、エルヴィス・プレスリーの一人娘である。
エルヴィスは、空手をやっており、とくに70年代には完全にはまっていた。
空手映画の製作や、空手チームを世界各地に送り込む計画にのめり込んでいたという。
また、あるときは、ライブのうち、15分間も、空手の演舞を行ったという。
そして、彼の段位は、ある人からもらった8段位であった。
さて、リサ・プレスリーが6歳のとき、エルヴィスは亡くなる。
リサ・プレスリーにおけるエルヴィスのイメージというのは、空手好きな父であったようだ。
そのためもあり、リサ・プレスリーが4度目の結婚式をあげたのは、日本である。
このようなリサ・プレスリーと結婚したとき、マイケルが聞いたエルヴィスのイメージは、空手家としてのイメージを多分に含んでいたものであっただろう。
そして、2年間の結婚を経て、リサ・プレスリーとマイケルは離婚する。(1994年〜1996年)
当時、リサ・プレスリーがマイケルについてついて言っていた苦言は、「女みたく化粧に時間をかける」とようなものが代表的だったと思う。
その時、リサ・プレスリーが比較していた男らしい男とは、空手を熱心にやっていた父エルヴィス・プレスリーではなかっただろうか。
このような背景があったときに、マイケル・ジャクソンに、「空手の総裁をやらないか」という声がかかったため、マイケルは、一も二も無く(?)やってみようと思ったのではないだろうか?
つまり、マイケル・ジャクソンが空手の総裁をやった理由は、リサ・プレスリーという女性を挟んで、ロックのキング、エルヴィスに対峙 しようという気持ちではななかっただろうか。(マイケルは、エルヴィスにとにかく対抗意識があるといわれる)
その意味では、エルヴィスが8段なのだから、自分は9段以上を欲しいとも思ったはずである。
しかし、名誉総裁の地位も同時に与えられたため、その点にはこだわらなかったのだろう。
さて、マイケルの空手家としての活動は、残念ながら、ほとんど行われなかった。
空手の練習や、総裁への就任が、マイケルに影響を与えた様子もない。
あえて言うならば、かつては絶対に人を殴るようなシーンを撮らなかったマイケルが、2002年のビデオ「You Rock My World」の中で、敵を殴っている点が、変わったところだろうか。
せめて、今後のライヴ・パフォーマンスや、ビデオ・クリップの中で、空手の技を応用したダンスなど、一度でもいいから、見せてほしいものだと思う。
(当時TVで放映されたイメージ映像)
(参考文献)
エルヴィスの空手への取り組みについては、下記を参照しました。
また、参考にした梶原一騎の漫画および、YOU ROCK MY WORLD収録のDVDです。