マイケル・ジャクソンとJAZZの帝王マイルス・デイヴィスとの音楽対決

 

JAZZの帝王、マイルス・ディヴィスは、自分の音楽性に絶対の自信を持っていた。

そして、自分の音楽が、JAZZファンから絶対的な評価を受けていることはわかっていたが、自分としては、JAZZというジャンルにとどまるつもりも全く無かった。

60年代の途中からはエレクトリック・サウンドを取り入れ、ある時は最強のロックを、ある時は最強のブラック・ミュージックを表現した。

JAZZの帝王と呼ばれながらも、JAZZという枠をあっさり超え、マイルスならではのサウンドを創り続けた。


そんな彼にも、音楽上の悩みがあった。

なぜ、自分の音楽は間違いなく最高なのに、もっと世間的な人気が出ないのかである。


自分の音楽は深すぎるのだろうか?

いや、そんなことはない、自分の音楽は十分わかりやすいはずだ。

それなのに人気が出ないのは、おそらく自分が黒人だからだ。

白人に支配されているラジオが、自分が黒人だから、曲を流さないからだ。



それが、彼の出した結論であった。

ところが、80年代に入り、彼のこのロジックを打ち破る存在が現れた。

マイケル・ジャクソンである。

彼は、黒人であるにもかかわらず、世界中で熱狂を巻き起こした。

マイルスは理由を考えた。

そして、自分でもマイケル・ジャクソンの曲を聴き、ライブにも行った。

その結果、彼は悩んだ。

音楽としては、自分の曲の方がずっといい。

そして、同じ黒人だ。

なぜ、マイケル・ジャクソンがあそこまで熱狂的な人気を得られるのだ?


そして、マイルスは、マイケル・ジャクソンと真っ向から勝負することにした。

それが、アルバム「ユア・アンダー・アレスト」である。

このアルバムで、マイルスは、ポップスを強く意識し、マイケル・ジャクソンのヒューマン・ネイチャーと、シンディ・ローパーのタイム・アフター・タイムをカバーした。

その理由を聞かれた時、マイルスは、これらの曲が今一番ヒップだから。と答えた。



しかし、それは違うだろう。

なぜなら、マイルスはこの2曲を、死ぬまでの10年間、ライブで演奏し続けたからだ。

なぜ、マイルスは、この2曲をライブで最後まで演奏し続けたのか?

それは、自分の音楽を、もっと一般の人に聞いて欲しいという思いが、最後まであったからだろう。


さて、私には、シンディ・ローパーのタイム・アフター・タイムと、マイケル・ジャクソンのヒューマン・ネイチャーとでは、
マイルスの演奏スタンスは異なっているように思える。

タイム・アフター・タイムは、アルバムに収録されている、原曲そのままのカバーを、ライブごとにJAZZとして深化させていっている。

時間がたてばたつほど、JAZZとして、素晴らしい曲になっていくのだ。

それに対して、ヒューマン・ネイチャーは、あまりJAZZとして展開させることにこだわっていないような気がする。

私からみて一番素晴らしいのは、アルバムに収録されている原曲そのままのカバーだ。

もし、この判断があっているなら、それはおそらく、こういうことではないだろうか?

マイルスは、死ぬまでの約10年間、ヒューマン・ネイチャーを、JAZZとしてではなく、あくまでポップスとして演奏していたのだ。

なぜか?

それは、もちろん、マイケル・ジャクソンと真っ向から勝負するためである。

JAZZとして深みを持たせるのではなく、誰にでもわかりやすい原曲のまま、演奏し続けることで、常に観客にこう訴えていたのではないだろうか?

マイケルと、オレの音楽と、どっちが素晴らしいか、これなら、誰にでも簡単にわかるだろう?

あきらかに、オレの勝ちだ。もっと皆、オレの音楽を聴くべきだ。


JAZZの帝王マイルスの晩年の10年間のライブは、常にマイケル・ジャクソンを意識し、一般客を奪い合う戦いでもあったのではないだろうか。


(参考)
マイルスのヒューマン・ネイチャーが入っている「ユア・アンダー・アレスト」と、マイルスのいわゆる普通のJAZZの代表作の「カインド・オブ・ブルー」です。マイケルのヒューマン・ネイチャーはアルバム「スリラー」に入っています。マイルスのマイケル観については、「マイルス・デイビスの真実」を参考にしました。



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