総集編ですから、基本的にはテレビと同じですが、14話分をわずか100分にまとめるにあたり、何が選ばれ、追加され、捨てられたかを見ることで、映画の今後の方向を考えたいと思います。
<そもそも映画化のポイントは何か>
インタビューなど見てる感じでは、今回映画化で目指しているものは、以下の2点だと思います。
@今の時代にあったように、作品テーマを変更する。そのために、カミーユのキャラなど多少変更し、3部作の最後にはそれが生きるよう新たなエンディングが加わる。
A老若男女、初めての人でも楽しめ娯楽作品とすること。
<全体的な感想>
第一作としては、まずまずの出だしではないでしょうか。
総集編ですから、大きな変更はありませんが、細かい点では随分変わっています。特に、ストーリーよりもテーマそのものに関わる変更点が多々あるような雰囲気ですが、それが何を意味するのかは、完結(3部作のラスト)をみるまではわからない仕組みになっているようです。ですから、今回だけではなんとも言えません。
映像的にも、TV部分と新作部分とのギャップは、苦労のかいあって許容範囲に収まっているのではないでしょうか。(個人的には、最新CGによるコックピット表現(360度の宇宙空間を再現するモニター)を映画館の大画面で堪能できるかと期待していたのですが・・これは次回以降に期待です。
今回は、TV版の魅力は十分出ており、物語の流れの本質的な部分で省かれた話はないのですが、逆に言うと、テレビ版からの大胆な省略や力点の変更も見られません。
TV版でさえ、あれほど錯綜して展開が見えづらく、人物も多すぎたのが、そのまま短くまとめた場合、どうおさまるのか依然として心配は残ります。(つまり、初めて見た人が話しを理解できるかということです)
また、今作品だけに関しても、初めて見た人から見てもわかりやすいかは、正直ちょっと疑問な気もします。特に、冒頭のカミーユがティターンズに捕まっている点などはTV版の方がわかりやすい気がしますし、エゥーゴの位置づけとかも、どうでしょうか。
しかし、これらについては、実際に初めて見た方の感想を知りたいところです。
同じ意味で、映画「機動戦士ガンダム」しか見ていない人を考慮したのか、旧ホワイトベースクルー関係の部分は、大体残っていましたし、カイがハヤトとちゃんと会話している点などは見ていてうれしかったです。その意味で、「機動戦士ガンダム」を見た人への配慮は十分あったと思います。
さて、第二作は、テーマも「恋人たち」とわかりやすく、物語的にも最もみせる展開だと思うので、あんまり心配していません。きっと楽しめるだろうと思います。ベルトーチカとフォウが左右を固めるデザインもいいと思いますし、サイコガンダムも映画館向きでしょう。
問題は、最終作が(TV版同様、もしくはそれ以上に)錯綜しすぎないか、そして、今回のカミーユのキャラ変更の複線が生かされるような、映画全体のテーマを表現するエンディング(富野監督がとても自信を持っている新しいエンディング)にうまくむすびつくかどうかです。
期待して待ちたいと思います。
<詳細>
映画がTVと異なった点
1.TVから映画に変わることで、テーマが変わったことに伴うもの(本質的な変更)
@カミーユのキャラが若干変わった
・「なんだ男か」と言われて逆上し、ジェリドを殴る、全てのきっかけが削除(殴るシーンだけはちょっとあるけど)
・母がカプセルに入っているのを見たときの、
「いつもそうだ」「いつもそうやって」
という鬱屈したセリフがなくなる。
・クワトロ大尉がシャアではないかと考え、答えを濁すシャアを殴りつける名シーン
「そんな大人、修正してやる!」
が変更(なくなる)。
・エマ「あの子、あたしの名前を知っていたわ」が「状況を一瞬で把握している」に変わる。
つまり、鬱屈して、逆切れしがちだったカミーユが、逆切れする若者が蔓延している現状をうけ(by富野監督)、周囲の状況をよくみる子に変わりました。
これらの変更が、どのような結末につながるのかは、映画3部作のラストを見るまで
わかりません。
ただし、一方ではバルカンを人間相手にうったりするシーンはあるし、ジェリドを殴る部分だけは残っていたりするなど、バランスは非常に微妙な感じです。
だったら、「そんな大人、修正してやる!」は入れておいてもいいのでは?とか、ジェリドを殴るいきさつも入れた方が初めて見る人にもわかりやすいのでは?とか思いますが、おそらく、それらをあえてはずした事は、とても意図的にやっていると思いますので、今後の展開を見守ろうと思います。
A殴ったり、ピンタしたり、嫌がらせしたりの点が随分減った
エマがカミーユをピンタしたり、ウォンがカミーユをボコボコにしたり、カミーユの父が母をピンタしたり、ティターンズがブライトに嫌がらせしたりといった、Z特有の見ていて不快になるシーンは随分減っています。カミーユの父と母の会話で、あえて新作カットにしてピンタシーンを削ったのは象徴的だと思います。
ただし、ティターンズがブライトをボコボコにするシーンは残っていますが・・
まあ、許容範囲でしょう(笑)。
Bその他の重要な変更
カミーユの両親が死んだ後、カミーユ、クワトロ、エマ、レコアでソファーで話すシーン。
・TV版では、カミーユの両親が死んだ怒りに終始するが、映画では随分冷静である。
・シャア・アズナブルの話題を出すのは、本人ではなくてエマである。本人が言うのも下手な説得だったが、エマが持ち出すと、一層趣旨が不明である(?)。
しかし、ここで最も重要なのは、シャアの
「個人的な感情を吐き出すことが、事態を突破する上で、一番需要なことではないかと感じたのだ」
というTV版Zのテーマを要約した言葉が消えたことである。
・エマに対し、カミーユが、「頭で考えて理解した気になるな」みたいな趣旨のことを言い、エマが押される。
・ライラもジェリドに、「頭で考える優等生はバカだ」みたいな趣旨のことを言う。
これらの点は、富野監督が映画製作にあたってインタビューでテーマとして語っていた言葉がそのまま入っています。今後どう展開していくのか期待の点のひとつです。
2.テーマ変更に伴うのか、そういうわけではないのか、今後の展開しだいの点
<レコア>
地球での「辱め」関連の話しがなくなり、一方では、エマにティターンズの非業をとく役割が強調はされるなど、重要な変更が行われている。さらに、大尉に「おしり触られた」発言まで加わっている。
これらは全て、後のレコアの裏切りの焦点を、シャアとのからみ一点に集約しようという意図的なものであろうか?
そうであれば、それはそれで面白いが・・そこまでの意図があるかどうかは不明である。
<エマ>あの高飛車な方が、ずいぶん、やわらかくなった。
<カイ>
TVでは意味不明だったハヤトへの手紙をやめ、ちゃんとハヤトと顔を合わせてしゃべってくれた。今回の新作カットの中でも最もうれしいシーンのひとつ(昔のファンには)。
<ジェリド>
冒頭の決定的なカミーユとの因縁は省かれたが、一方ではカミーユの母殺しから、ライラ達にバカにされるシーン、ジャブローで無視されたり、必死で逃げたりするシーンなど、情けないシーンはたいてい残されている。
これは、ジェリドのキャラを新たな展開にひっぱろうとする意図なのか、別に深い意図はないのか・・
3.物語圧縮の関係で展開が変わった点をいくつか
本質的な変更ではありませんが、時間の関係上、TVでは複数だった演出をひとつにまとめた例です。
@母の死の後、一度ティターンズに捕まり、エマによって父とともに逃げるシーンがなくなり、最初から父がエマの一緒にアーガマにくるようになった。
Aライラのからみが、ジャブローに降りるときと合体した。
予想外に、TVのまま残っていたもの
・マルガリータ、アメリアといったキャラは、意外なことにちゃんと(?)残っていた。
こういう話は必要と判断されたのか、単に数少ないお色気シーン(?)として残されたのかは不明。
<最後に>
いろいろ書きましたが、1回見ただけなので、間違いなどあるかもしれません。
3部作完結した時に、初めて今回の演出方向の変更意図が見えてくると思いますが、私的には、富野監督のラストに持っていく力は凄いものがあると思っていますので、新作ラスト部分は心配しておらず、今回の疑問点がどうつながっていくのか、楽しみです。
むしろ心配なのは、TVと同数の主要キャラクターを出している以上、錯綜したまま(特に初めて見た人には)最終作まで突入してしまわないかという点です。
それはともかく、映画館がすいた頃に、もう一度、見てこようかと思っていますので、上記の文章もまたいろいろ修正するかもしれません。
<追加>
さて、追加です。
冒頭に書いた、Zガンダムの映画化がそもそも目指していた点についてです。
>@今の時代にあったように、作品テーマを変更する。そのために、カミーユのキャラなど多少変更し、3部作の最後にはそれが生きるよう新たなエンディングが加わる。
>A老若男女、初めての人でも楽しめ娯楽作品とすること。
結局、この2点は達成されたでしょうか?
@については、いろいろ変更が加わったことはわかりますが、それがどういう意味を持つかは、3部作見てからのお楽しみです。
Aなのですが・・
・ホワイトベースクルー関係の話は削られずに残り、また、カイとハヤトの会話が加わるなど、旧ガンダムしか知らない人向けには工夫がされている。
・TV版でとにかく多かった殴りシーン、ピンタシーン、嫌がらせシーン、また、母親の指の付着の話やカミーユの鬱屈シーンなど、見ている方が不愉快になってしまうシーンが大幅に減った。TV版の序盤は、私はいまだに見ていて嫌になるので、それらがなくなったことは大変喜ばしいし、一般向けの工夫がされたといえる。
・一方、父母の死は残り(とくにカプセルはやはりちょっと・・)、また、話の構成はTV版と同じなので、各勢力の意図や対立関係は、初見の人にはやはりわかりづらいのではないか?今回の映画は、ティターンズ=悪、エゥーゴ=善みたく見れるので、そんなに問題ないかもしれないが、今後勢力がどんどん加わると、やはり何だかわかりづらくなりそうである。
かといって、単純な善悪の構造にすると、ガンダムみたくなり、Z特有のぐちゃぐちゃした面白み(?)がなくなってしまうので、難しいところである。
ということで、TV版Zよりはよほど見やすい作品になりましたが、様々な世代の人におすすめできるほど見やすいかというと・・?という感じです。まあ、これは私の意見なんかより、初めて見た人が実際どうかというところが重要ですが。
さて、最初に戻って@とAを考えると、何でカミーユとジェリドの最初のからみが大幅削減になったかも、ちょっとわかる気もしてきます。
・キレやすいカミーユを抑え気味にしようという意図と、見ていて不快になるような暴行シーン(多人数が一人をボコボコにしたり、男が女をピンタしたり)を減らそうと考えると、冒頭のカミーユとジェリドのからみは、両方にかぶっているのです。
そのために大幅に削られたのでしょう。ストーリー的には、初見者には、わかりづらくなった気もしますが(笑)。
それから、画像に関しては許容範囲と書きましたが、昔の映像の一部を3D処理化した部分とかは、うまくはまっていて感心しました。(まあ、TV版の絵と今回の絵の違い自体は明白なので、本当は全部新作で作ればよいのですが、それはおいとくとして)