シャア・アズナブルの真実
(暗殺への固着の、病理的な側面)



実は、ここからが、シャアの真実についての本当の探求である。
なぜ、第二論文としたかというと、一部、ガンダム世界の枠を超えて精神分析の考えを導入しているからである。
人によっては、受けつけがたいかもしれないし、主旨も伝わりにくいだろう。また、シャアという英雄を、極めて人間的な対象として扱う文章でもあるので、シャアを熱く語る人にはひんしゅくかもしれない。

しかし、私個人の考えでいうと、おそらく、これこそが真実だろうと思っている。

シャアを語る人達は、「機動戦士ガンダム」における赤い彗星と、「Zガンダム」におけるクワトロ・バジーナと、「逆襲のシャア」におけるネオ=ジオン総統との間に、なかなか一貫性が見えないかもしれない。

たしかに、政治的思想だけを見れば、バラバラだろう。
しかし、その3者は、間違いなく、強固に一貫している。
残念ながら、一つの病として・・



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シャアが、精神的に病んでいるのではないかと、近い立場の人たちは推測していた。

「あのなぁ!大佐は1年戦争でララァって娘にとりつかれたんだぞ。病気なんだ!」(逆襲のシャア ベルトーチカチルドレンより)

しかしながら、なぜ、ララァに彼がこだわるのかは、誰にもわからなかった。
ただ、そこには、単なる悲しみではなく、むしろ病的なものがあることだけは、感じ取れたのである。

以下、彼の精神的な病を見ることで、1年戦争におけるザビ家の滅亡も、グリプス戦役における射撃を失敗し続けるクワトロ・バジーナも、ネオ=ジオン軍の総統も、同じ病の結果であることを示す。

彼は、少年期から、一貫して、その病にかかっていたのだ。

以下を読む前に、前提として、第一論文の第二章における父母の暗殺関連の部分だけは読んで欲しい。

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シャアの行動については、ある可能性を指摘せずにはいられない。


彼が「暗殺」にこだわったのは、第一論文の第一章で見たとおりである。
しかし、それにしては、シャアの暗殺方法は、ザビ家のやり方そのものである。
仲間となり、油断させて、暗殺する・・


後に、ネオ=ジオンを再興しアクシズ落としを決行し、地球に宣戦布告するのも、父ジオン=ダイクンの意志を継ぐというよりは、むしろ、彼が批判していたザビ家の反復のようでもある。

「父ジオンの、スペースノイドはエリートであるという思想が、ザビ家につけこまれる隙を与えた。ザビ家は、スペースノイドこそ地球を支配するという思想に置き換えた」(映画ガンダムV)

「私が、オールドタイプである引力に魂を引かれた人々を粛清する」(逆襲のシャア)


要するに、シャアは、相手を殺すやり方も、自分で戦争を起した目的も、あまりにも、ザビ家のやり方に似すぎているのである。


ここで、第一論文で書いたように、シャアは、ザビ家による父の暗殺という事件に固着していたという考えを、精神分析を使うことで拡張してみよう。

フロイトは、固着について、こう書いている。
「患者は、症状という形において、自分の過去のある時期の中へ引き退いて生きているということが、精神分析によってあきらかにされます。

多くの例では、そういう例として、子供の時代、乳児の時代をすら選んでいるのです。

神経病はその根底に、災害の瞬間への固着があることを明瞭に示しているのです。

夢の中で、いつもその情景を反復しているのが普通です。

あたかもこれらの患者にとっては、状況の始末がまだついていないかのようであり、この状況は、まだ克服されていない現実の課題として、患者の前に立ちふさがっているかのように見えるのです。

神経症は、あまりにも強い感情の結びついた体験を始末することができないために生じるといえましょう。

患者は、自分が、苦痛に満ちた過去の一断片を修正したいという意図についは、何も知りませんでした。」


つまり、神経症とは、子供の頃の、苦痛に満ちた瞬間に、人の人生を固定するものである。そして、その問題がまだ解決していないかのように、子供の頃と同じ状況を反復しようとする。
具体的には、毎晩のように同じ光景を夢に見たり、昼間であっても、ある行動を何度も繰り返してしまったりするのだ。

本人にはその理由は自分でもわからない。しかし、本当は、その子供時代の苦痛に満ちた瞬間を、どうにかしてやり直したい、修正したいという願望があるからなのだ・・




シャアが、ザビ家にそっくりのやり方で、裏切りと暗殺を行い、自分の国を起し、地球に隕石落としを強行するのは、このような意味があるのではないだろうか?


ここで、視点を大きく変えてみよう。

シャアは、ザビ家を滅ぼすときには、楽しげであった。
狙撃手としても一流であったことは、キシリア暗殺の例をひくまでもない。

ところが、「Zガンダム」において戻ってきた彼は、あきらかに違うのである。

彼が暗殺を計画しがちなのは、以前と変わらない。
「Zガンダム」に出てきた主要な敵を、ほぼ全員、彼は一度は暗殺しようとする。

ところが、彼は失敗し続ける。

32話 ドゴス・ギアのシロッコをメガ・バズーガ・ランチャーで撃つがはずす。

33話 ハマーンを銃で撃とうとし、失敗。

35話 ジャミトフ暗殺の絶好の機会を得るが、なんとあの老人相手に外す!
この時は逆に閉じ込められ、シャアは怒りで震えるが、これは、あの距離で外してしまった自分への怒りでもあったのではないだろうか?

36話 宇宙へ脱出しようとするジャミトフのシャトルを百式で狙うが、またも外す。
「みすみす逃がすとは・・」
この時は、事情を知らないアムロが慰めてくれるが、シャアから見れば、何度も殺す機会があっただけに、悔しかったのだろう。

38話 メガ・バズーガ・ランチャーで、アレキサンドリアを狙い撃つが、はずす。
「なぜ外れた!なぜ!」レコアがシャアを察知したからではあるのだが、これだけ続くとそういう次元ではないと思われる。

41話 「また外れた!なぜ落とせん!私にためらいがあるのか!」
シャアは、自分が外しまくるのは、自分の心の問題であることに気づく。

46話 「私の役目だ」といいながら、シロッコ、ハマーン、ジャミトフの3人がいる場に踏み込むも、当然はずれ、シロッコの腕を傷つけるにとどまる。

49話 百式のメガ・バズーガ・ランチャーが、ハマーンのモビルスーツ部隊の大群にはあたる。

以上見てきたように、シャアは、誰か要人を狙うと必ずはずすのである。
これが単なる偶然でないことは、このおびただしい数のはずしかた、そして、彼自身、自分の心の問題だと気づいた点からもあきらかだろう。

一方、シロッコは、やすやすと、笑いながらジャミトフを暗殺する。
このシロッコの暗殺成功と、シャアの失敗の連続は、あきらかに、ある対比を示している。
未来にしか関心がない男と、過去に縛られた男との。

はっきり言ってしまうと、シャアは、キシリアを殺した瞬間から、もはや暗殺ができない男になっていたのだ。
彼の言うとおり、「ためらい」が生じたのだろう。

なぜか?
ザビ家を殺すときは、父の仇討ちであったから、嬉々として殺すことができた。

しかし、ザビ家がいなくなった今、一人を狙い撃ちしたり、暗殺したりするということは、彼にとって仇討ちではなく、単に自分の両親の暗殺を思い起こさせるものでしかなくなってしまったのである。

それ以外に、これほど失敗し続ける「ためらい」の理由はないだろう。


ピンポイントで撃つという、暗殺を思い起こさせるようなシーンになると、彼は、無意識のうちに外してしまうのだ。

これは、フロイトが言う「苦痛に満ちた過去の一断片を修正したいという意図」という言葉のとおりである。

つまり、暗殺を思い起こさせるシーンになると、必ず失敗することによって、彼は、自分が少年期に受けた苦痛に満ちた過去の一断片を修正したいと願っているのだ。
ようするに、自分の少年時代にさかのぼり、父母の「暗殺」が失敗することを無意識に願い、再現しているのだ。

「Zガンダム」はカミーユの崩壊に目がいきがちだが、シャアは、アムロ以上に苦しみ、擦り減っていたのである。

同じことは、「逆襲のシャア」においても言える。
彼は、なぜ、ザビ家のような国家をまた作り、地球に宣戦布告したのか?
そして、なぜ、アムロに、自分と互角に戦えるよう、情報を流したりしたのか?

ザビ家と異なり、彼は、本気で人類粛清を正しいと思っていたわけではない。
演説を行い、地球に隕石を落とすと宣告していたとき、彼は、無意識のうちにザビ家を模倣していたのである。
本当の彼はこう考えていた。

「アムロ、私はアコギなことをやっている」

「これでは道化だよ」

「私は世直しなど考えていない!]

「父、ジオンの元に召されるであろう」

「辛いな。君のような支えがいる・・(ナナイの胸に顔をうずめながら)」


彼は、自分が何をやりたかったのかはわかっていなかったのかもしれない。

フロイト「患者は、自分が、苦痛に満ちた過去の一断片を修正したいという意図についは、何も知りませんでした。」

つまり、シャアが無意識に望んでいたのはこういうことだ。
まず、自分が、ザビ家を演じ、地球に隕石を落とすことで、ザビ家を再現する。

そして、アムロをあえて引き寄せたのは、ザビ家を反復している自分を、アムロなら討ってくれるだろうという期待にほかならない。

それは、決して、「男の戦いの決着」をつけるためではなく、アコギなザビ家の野望が打ち砕かれることを再現することによって、ザビ家による両親の暗殺という苦痛に満ちた思い出を修正したかったのである。

つまり、

ザビ家が失敗 → 両親の暗殺もなかったことになる。

という無意識の願望があり、両親の暗殺を修正したいという思いから、自らザビ家のような行動をとって、アムロに敗れたのである。

もちろん、現実にはザビ家はもういない。しかし、それでも、彼は、ザビ家の失敗を再現したかったのだ。
なぜなら、彼が少年期に受けた心の傷は、ザビ家が滅亡したあとも癒されず、彼は永遠にその瞬間に固着していたからである。

では、なぜ癒されなかったのだろうか?
彼は、自分の心の傷は、ザビ家を滅亡させれば癒されると信じていた。だからこそ、暗殺を企んだのである。

しかし、大きな計算違いが、1年戦争の末期に起こったのだ。

それが、ララァである。

彼は、ララァに、母親的なものを見ていた。
「私を導いてくれ・・」

ところが、ララァは、母と同様、またもや殺される。

これにより、自分の母への固着は、ララァへのこだわりと転移した。

転移とは、フロイトによれば以下のようなものである。なお、わかりやすいように注釈をつける。

「苦しい葛藤からの逃げ道を求めなければならない患者(シャア)が、ある人物(ララァ)に対して特殊な関心を寄せ始めるのです。

およそ、その人物(ララァ)に関することは全て、自分自身の問題よりも重大であり、自分が 病気であることを忘れかねさせないほどに見えるのです。

若い男女(シャアとララァ)の場合は、正常な恋愛だという印象を受けます。そしてそのために、神経症の患者(シャア)には、むしろ人を愛する能力に障害があると考えてもいいということが、見逃されてしまうのです。

(ララァへの)感情転移は、新しく作り出され、作り変えられた神経症であるといっても間違いではないのです。」


これにより、彼の、父母暗殺への固着は、ララァへの固着という見え方で生き残り、継続したのだ。

だからこそ、ザビ家を滅亡させても、彼の少年期への固着は消えず、暗殺ができなくなったり、ザビ家のマネをしたりといった症状を生んだのである。

もちろん、表面的には、ララァへの、病的なまでに異常な関心として残った。

「大佐は、ララァって娘にとりつかれているんだ。病気なんだ」

「「ララァ」って寝言を聞いた女は多い」

「ロリコンなんだ。ニュータイプ研じゃ有名だぜ」



「ララァは、私の母になってくれたかもしれない女性だ!」


しかし、彼が本当にこだわっていたのは、本人も言っているように、やはり父母(おそらく母)の殺害だろう。


もう一度フロイトの言葉を読み返してほしい。シャアの事例の注釈もつけてみた。


「患者(シャア)は、症状という形において、自分の過去のある時期(両親の暗殺)の中へ引き退いて生きているということが、精神分析によってあきらかにされます。

多くの例では、そういう例として、子供の時代(両親が暗殺されたとき)、乳児の時代をすら選んでいるのです。

神経病はその根底に、災害の瞬間(暗殺の瞬間)への固着があることを明瞭に示しているのです。

夢の中で、いつもその情景を反復しているのが普通です。(「寝言で総統が「ララァ」というのを聞いた女は多いんだ」(by逆襲のシャア))

あたかもこれらの患者(シャア)にとっては、状況の始末(ザビ家による両親の暗殺)がまだついていないかのようであり、この状況は、まだ克服されていない現実の課題として、患者の前に立ちふさがっているかのように見えるのです。

神経症は、あまりにも強い感情の結びついた体験を始末することができないために生じるといえましょう。

患者(シャア)は、自分が、苦痛に満ちた過去の一断片(両親の暗殺)を修正したい(暗殺を、なかったことにしたい。今からでも止めさせたい)という意図についは、何も知りませんでした。」

彼にとっては、あまりにも少年期の体験のショックが大きかったために、その状況の始末がまだついておらず、まだ克服されていない現実の課題として、立ちふさがっているように感じられるのだ。
そして、無意識のうちに、同じ体験を修正しながら繰り返すことで、過去の苦しみをどうにか修正しようとしているのである。


つまり、彼は、ザビ家のような行動を自ら繰り返し、アムロによって打ち砕かれることで、間接的に、ザビ家による自分の両親の暗殺を食い止め、両親を助けたかったと言う願望を、無意識の中で、成就させているのである。

彼の人生とは、少年期に奪われた両親との生活を再度実現したいという、不可能な思いに固着したものだったといえるだろう。

そのために、ザビ家に対しては、ザビ家同様の暗殺者として迫り、暗殺することで恨みをはらし(機動戦士ガンダム)、ザビ家滅亡後は、自らが暗殺に失敗し続けることで、両親が暗殺されてしまった現実を無意識に修正しようとし(Zガンダム)、最後には、ザビ家の意図が失敗し、失墜する様を自らそっくりに再現することで、両親が暗殺された過去を修正し、癒そうとしていたのである(逆襲のシャア)

そして、この泥沼状況から唯一脱出するチャンスだったのが、ララァとの出会いであった。しかし、ララァが目の前で殺されたことで、かえって固着は、ララァへのこだわりという姿をまとって、より強固に存続した。

「ララァは、私の母になってくれたかもしれない女性だ!」

専用モビルスーツを軽やかに動かしていた「赤い彗星」時期から、ダカールで演説したクワトロ・バジーナ時代、そしてネオ=ジオン総統に至るまで、彼の輝きの裏には、一貫して、同じ苦しみがあったのだ。

シャア「戦いの中で人を救う方法もあるはずだ。それを探せ!」
カミーユ「あるわけないだろ!」

この会話が示しているように、彼が、「戦いなしでは生きられない男」(byベルトーチカ)だったのも、「戦いの中で人を救う方法」を模索していたのも、全ては、戦いに身を投じることの中でしか、両親が殺された過去を修正できる気がしなかっただろう。

「人は誰も、引きずっているものは死ぬまで捨てられんよ」

もちろん、両親が殺された過去の修正などできるはずもないのだ。シャアは、それを頭では十分に理解していた・・

「今日がな、わたしのなかの馬鹿な男と訣別する日なのだ・・」

しかし、それでも、彼の無意識は、毎晩のように、両親の暗殺か、ララァの死を、そして、何よりも、彼らを救えなかったシャアの姿を繰り返していたに違いない。

「「ララァ」って寝言を聞いた女は多い」


恐らくそれは「地獄のような日々」(byシャア)であったのだろう。

彼の仮面とサングラス、そして、何よりも、赤や金色のモビルスーツに象徴される、スタイリッシュで優雅な立ち振る舞いは、その苦しみと孤独を隠すためのものでしかなかったに違いない。


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