シャア・アズナブル論 第二章

 第二章 シャアの行動を規定しているのは少年期のコンプレックスであるということ

「人の心の中に踏み込むには、それ相応の資格がいる」(クワトロ・バジーナ Zガンダム32話)


彼は何故、相手を殺すとき、暗殺を考えるのか?とくに、一度協力者となって働きながら、隙を見て殺すという方法をとるのか?

これは、言うまでもないことだが、彼自身が、父親を暗殺されたことが心の傷となり、コンプレックスになっていると考えられる。
シャアの父、ジオン・ダイクンがザビ家により暗殺されたのは彼が子供の時である。しかも、それは、協力者として信じていたはずの、ザビ家による裏切り行為であった。

おそらく、その衝撃は、決定的なものであっただろう。


実際は、シャアが何を感じたかは明らかではないが、カミーユが両親を失った時に、自分の話を持ち出すことから見ても、ショックが大変大きかったことを感じさせる。

カミーユ「両親を次々に目の前で殺された僕に何か言える資格がある人なんていませんよ!」
クワトロ・バジーナ「シャア・アズナブルという人を知っているか?」(Zガンダム6話)


上記のやりとりから、シャアも、両親ともつぎつぎに殺されていること、さらには年齢を考えるとカミーユより遥かに大きな傷となったことが想定できる。

また、「暗殺」への怒りが、後にザビ家を破滅させるためにジオン軍に入隊する動機となっていることは間違いないだろう。

そして、ザビ家が父を殺したのにも関わらず、その後も存続し、覇権を握った点を見て、「暗殺」という手段の有効性に衝撃を受けたことも間違いないと思われる。

この点が、後に、彼が特定の人間を倒すことを考えるさいに、まず「暗殺」という方法を検討するようになった経緯と考えられる。しかも、相手の協力者と見せかけることで隙を誘うやり方で。
また、命のやり取りが異常に好きになってしまったのも、このせいかもしれない。
おそらく、親を守ることができなかったことと、自分もいつ殺されるかもわからないという恐怖が、彼を常に戦闘の中で生きる男に変えた原因ではないだろうか?

「あの人は、戦いなしじゃ生きられないってタイプじゃない?」(ベルトーチカ)


つまり、彼の暗殺へのこだわりは、少年期において両親が協力者から殺害されたという事件に基づいていると思われる。
そして、両親の殺害による影響は、実は、暗殺ということのみに関わらず、彼の政治的関心、個人的精神形成、全てに関わっている。

具体的には、父の死と母の死は、彼にそれぞれ異なる影響を及ぼした。


<父の死の影響について>
シャアのダカール演説の中身を見ても、ほぼ、父親の言っていることそのものの繰り返しであることがわかる。

・一部の者が権力を独裁すること非難
・人類は宇宙へ出て種としての革新をとげるべきだということ
・スペースノイドの権利の要求

そして、彼がジオン軍に所属してザビ家を滅ぼした後も、アクシズに身を潜め、後にはネオ=ジオン軍の総裁となることからもわかるように、彼は、最終的には常に「ジオン」という名にこだわり続けていた。

つまり、両親の暗殺により、ザビ家が権力を手にしていくのを見たことで、彼の政治的関心は2つの方向を持ったと考えられる。

@父の思想を継ぐこと
父の名をつぎ、父の理想を継承すること。つまり、地球の人々(引力に魂を引かれた人々)を宇宙に連れ出し、人類の革新を目指すこと。

A父を殺したような、私欲に走る組織への恨み
父を殺したザビ家に代表されるような、一部の人間の私欲のために権力が拡大されるのは許さないということ。

彼の政治的行動は、この2種の衝動の組み合わせである。
以下、それぞれ見ていく。

<@父の思想の継承>
父の思想に基づき、彼は、ジオン軍に所属し、地球連邦軍と戦う。
また、エゥーゴに味方してティターンズと戦う。
そして、後には自らネオ=ジオンの総裁となり、地球に粛清を行おうとする。

「だからオールドタイプは、殲滅するのだ」(映画ガンダムV)
(*ただし、「私はそんなに不遜ではない」といって、実行の意思までは見せていない。

「この作戦によって、地球圏の戦争の源である。地球に居続ける人々を粛清する!」(逆襲のシャア)

つまり、彼の目指すところは、一貫しているのである。実行のために積極的に動くかどうかの違いがあるだけだ。

ところが、上記2つのセリフの中間期にある「Zガンダム」の時期だけは、あきらかに違うことを言っている。

むしろ、オールドタイプを否定するハマーンやシロッコに対し、こういう。
「私が手を下さずとも、ニュータイプへの覚醒で人類は変わっていく。私は、その時を待つ!」(Zガンダム最終話)

なぜ、彼はオールドタイプの殲滅という発想を、この時期はなくしたのだろうか?

そして、なぜ後にはまた同じことを言い始めたのだろうか?しかも、初期とは違って、本気で実行しようとしたのだろうか?

可能性はいろいろあるだろう。
・ザビ家を倒したこと。
・ララァがアムロと共感したこと。

この2つが、「ガンダム」の時期と「Zガンダム」の時期では大きく異なる。


どちらも影響しているだろう。しかし、これらの理由だけでは、なぜ、また後にネオ=ジオン軍の総帥となり、粛清を始めたのかが理由がつかない。

ここでは、もうひとつ、別な角度からシャアの変化を指摘したい。

富野監督によると、Zガンダムのテーマは「現実認知」だということである。
では、「Zガンダム」とは、一体、誰が何を「現実認知した物語」だったであろうか?
まさか、精神が崩壊したカミーユではないだろう。

もちろん、これは、シャアである。
もともと、「Zガンダム」のサブタイトルは「逆襲のシャア」であった。

「Zガンダム」のテーマのひとつは、次の言葉にある。

シャア「感情を直接出すことが、事態を突破する上で重要ではないかと感じたのだ」

顔を隠し続けるシャアにとって、感情にまかせるカミーユは、自分には無いものを感じさせる存在であったことは確かである。

(カミーユに殴られ)「これが、若さか・・」

彼は、エゥーゴに入っても、相変わらず、自分の真意は語らなかった。
作戦においても、自分の意見にこだわることはない。

それに対し、カミーユは、ニュータイプとしての覚醒を示しながら、自分の怒りを素直に表明し続けた。

カミーユ(またもやシャアを殴り)「あなたが、もう少しやさしくしていれば、レコアさんは、こんなことにはならなかったんだ!」

何度も殴られながらも、シャアは決してカミーユを否定しない。

それは、自分が失ったものをカミーユが示し続けたため、そこに期待したのだろう。

「そこに残った若さ取り出し、熱い未来へと続くだろうと信じているから」(主題歌 Z 刻を越えて)

「経験則に縛られない若者の感情こそが、大人からみて瞠目すべきものだと思ったからだ」(Zガンダム企画書より)

彼は、同様に、カツの無謀さにも、惹かれていたはずだ。
2人とも、彼にはない、感情の直接的な発露と、若さにあふれていた。

シャア「父親替りの経験もいいと思っている。胸がときめく」(Zガンダム16話)


彼は、カミーユのような若者=ニュータイプこそが、時代を変えるのではないかと期待していたのだ。

「君のような若者が命を落として何になる!新しい時代を作るのは老人ではない!」(Zガンダム50話)


だからこそ、彼は、こういいきったのだ。

「私が手を下さずとも、ニュータイプへの覚醒で人類は変わっていく。私は、その時を待つ!」(Zガンダム最終話)

ところが、結果はどうなったか?

カツは死亡、カミーユは崩壊。

これが、シャアの期待に対する現実であった。

シャアは、この「現実認知」に基づき、自分の考えが甘かったことを知った。
自分の期待がニュータイプへと覚醒する若者を傷つけることにしかつながらなかったのである。

「ニュータイプがニュータイプとして、生まれ出る道を作りたいだけだ」(映画ガンダムV)

そして、彼は、元の考えに戻る。
彼は、おそらく、自分の傍観者的な甘い期待が、若者に過度の負荷を押し付け、ニュータイプの芽を摘んだ結果しか生まなかったことを反省したのだ。

富野監督「「Zガンダム」のシャアは、楽をしたいと思ったのではないだろうか、と作者が反省する必要があるのです。」

彼は、自分の責任を感じ、次には、自らが行動を起し、業を背負う決意をする。

「人類全体をニュータイプにするためには、誰かが人類の業を背負わなければならない」

<A私欲ある組織への敵意>
彼は、父を殺害したような、私欲ある組織を憎む。まず、ザビ家を滅亡させる。さらには、次にはジャミトフを暗殺しようとし、再度ザビ家を再興させて自ら宰相の位置につくハマーンや、次の時代の覇権を握ろうとするシロッコを倒そうとする。


シロッコ「貴様はその手に世界を欲しがっている」
シャア「私はただ世界を誤った方向にもって行きたくないだけだ」


ハマーン「ザビ家を再興させる。それが、わかりやすく人に道を示すことになる。」
シャア「また同じ過ちを繰り返すと気づかんのか!」


このように、彼は、個人の私利私欲のために権力を得ようとすることを一貫して嫌っている。

これも、父が無欲な思想家であったのに対し、ザビ家が権力を得ることを目的として父を暗殺したことからきているのだろう。




しかし、自ら総統となってネオ=ジオン軍を指揮したとき、彼は権力を手に入れようとしているのではないか?

いや、そうではない。
彼は、自ら総統となってネオ=ジオン軍を指揮し、地球を氷河時代に戻そうと考えたとき、目的が達成されれば、自分が生き残って覇権を握ろうとは考えていなかったのである。
ザビ家やジャミトフやハマーンのような私欲は全く無かったのだ。

「そして、そのあかつきには、私は父ジオンの元に召されるであろう!」(逆襲のシャアの演説より)

彼は、あくまでも父の理想を達成した後は、ザビ家のように権力を手にすることなく、父の元に召されることで、人類への贖罪を行おうと考えていた。



<母の死の影響について>
父の死同様、母の死も、少年期の彼には重大な影響を及ぼしたはずである。
このことは、直接的には、母への強い愛着を彼に残した。

富野監督「マザーコンプレックスみたいな部分で、ひとつの欠陥論として浮かび上がってくる人生であったのかもしれない」

その結果は2つである。
@母親的な女性を求めること。
シャアがうまく関係を築けた相手はララァや、ナナイである。
ララァは、なぜか、母親的なものを感じさせる女性であった。

アムロがララァに会ったとき母親的なものを感じている。
「忘れていた記憶を思い出させる。母親の匂い!」(小説「密会 アムロとララァ」より)

シャアが、他のニュータイプには絶対に言わなかったことを言っているのも同じであろう。
「ララァ。どうしたらいいのだ?私を導いてくれ!!」(映画めぐり合い宇宙より)

ナナイはこのへんのシャアの心情がよくわかっていたため、彼に対しては、自分の真情(シャアに依存したい)をぶつけず、母親的につくそうと考えていた。

シャア「辛いな。君のような支えがいる・・(ナナイの胸に顔をうずめながら)」(映画「逆襲のシャア」より)


A逆に自分に父親的な、包容力のある男性像を求める女性とはうまくいかないということ。
ハマーン・カーン、レコア・ロンドなど、シャアに気があり、かつ、やがては敵になった女性は多い。

彼女達の共通点は、ハマーン・カーンがシャアに寄りかかっている写真に象徴されるように「頼れる男性像」を求めたことである。

ハマーン・カーン「男は皆シャアと同じだ!」

レコア・ロンド「私を止められるだけのことをしてくださいました?」

母親的な女性を求める男と、父親的な男性を求める女では、うまくいきようがないのだが、彼が頼れそうな雰囲気を濃厚に持っているが故の誤解と、彼自身の気のつかなさもあり、彼女達との関係は泥沼化した。

娘のような年で、彼に憧れるクェスとも、いずれはうまくいかなかっただろう。


このことは、さらに重要な二つの帰結を生み出した。

@ララァを殺したアムロへの憎しみ
少年期に母親をザビ家に殺されたことで、母親へのこだわりがあったことに加え、さらに、新たに母親的にシャアを導いてくれそうだったララァがアムロに殺されたことで、彼のアムロへの憎しみは、一種異様なものとなった。すなわち、母親を精神的に奪ったうえ、肉体的に殺した相手、つまり、仇という位置づけである。

しかも、ララァがアムロに十分共感しており、自分には嫉妬があったことも理解していたために、アムロに対して、自分は同条件で勝負して今度は勝ちたいという気持ちが芽生えた。つまり、母親に対して、自分の方が優れているところを証明したいというような気持ちであろう。

(モビルスーツに乗らなくなったアムロに対しての挑発)「君を、笑いに来た」(Zガンダム)



A大人に成長するというよりは、少年期の感性への固着
少年期に母が殺されたことのもうひとつの影響は、自分が親になることへの嫌悪感である。

「(子供を作ることを)恥ずかしくないのか」(小説「Zガンダム」)

小説「逆襲のシャア ベルトーチカチルドレン」など見るとわかるが、子供を作るアムロと、子供を作ることを嫌悪するシャアは、本来は対比的に描かれるはずだった。
しかし、映画化にさいして様々な事情からベルトーチカの設定も子供の設定もなくなったため、映画では不明瞭となった(この点は別論予定)

アムロ「シャアにはベルトーチカのような女性との出会いもなかったし、子供もいない。僕には、君とお腹の赤ちゃんがいる。この違いは絶対的だ。」


(母への固着のまとめ)
第一章で見たように、シャアは、本気で相手を殺すときには、決してモビルスーツ戦という手段を選ばず、暗殺計画を立てる男である。
そのためには、数年がかりで相手のふところに入り、油断させることができる。(ザビ家への対応および、「ZZ」の企画版でのハマーンへの対応を参照)

ところが、「逆襲のシャア」においては、彼は、アムロに対してそのような手段をとらなかった。
あくまで、モビルスーツでの戦いを挑んだのである。

これは、ララァが死んだ状況と同じモビルスーツ戦を再度やりたかったからである。
つまり、両親が死んだときと同様、ララァの死は、シャアにその瞬間への固着をもたらし、その再現にこだわるようになったのだ。

その後10年以上たっても、折にふれ彼はララァの名を口にすることになる。

「シャアが「ララァ」と寝言でいうのを聞いた女は多い」(逆襲のシャア小説版)

また、第二章で述べたように、ララァが十分にアムロに共感していたことも理解しているため、今度は、正々堂々戦って、ララァにそれを見せたいという気持ちも捨てられなかった。

ナナイ「あなたは、敵であるアムロに何故、最新のテクノロジーを供給したのですか」


また、第二章でも述べたが、いずれ、目的を遂行した後は、自分が生きながらえる気持ちも強くはなかったと思われる。

それらの結果として、彼は、最新のテクノロジーをアムロに流し、自分のマシンと互角に戦えるマシン、νガンダムをアムロに完成させる余地を与えたのだ。
つまり、彼は、アムロを殺したいのではなく(それなら仲良くして暗殺計画を練るのが彼のやり方だ)、アムロと再度戦って勝ちたかったのである。


彼の少年期への固着と利己心の無さは、彼をよく知る、母親的な女性には少年のような純粋さと映った。
ララァ「あの人はとても純粋なのよ」
ナナイ「あの人は純粋です。もう一度アムロと勝負をつけたいだけ・・」


もちろん、母性的でない女性からは怒りをかうこととなった。


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