以前、ガンダムページの掲示板で教わったのですが、富野監督は、一時期、Zガンダムについて、「ジェリドというバカがいたことぐらいしか覚えてません」と言っていたそうです。
まあ、Zガンダムについては複雑な思いがあるでしょうからおいておくとして、なぜ、ジェリドという「バカ」だけ覚えていたのでしょうか?
Zガンダム放映当時、私にとって、ジェリドは、位置づけ不明なキャラでした。
第一話から出てくるしカミーユと因縁深いものの、シャアのようにかっこいいわけではないし、ドジなわりに偉そうだし・・
ライバルキャラというには魅力も実力も不足しているし、なんか「バカ」っぽいし、実際、カミーユには殴られるし、勘違いして(命令どおりだが)カプセルを射撃するし、ジャブローでは命からがら逃げ出し、宇宙ではシロッコにいいように使われ・・
結構生き延びるわりに、最後はあっさりやられるし、一体、彼はなんだったんだろう?ライバル?やられ役?
そのわりに、「おれはただ、この手に全てをつかみたいんだ!」と、これ以上ないくらい、大きな野望を実力不相応に持っているし・・
この混乱に輪をかけたのがマウアーで、「あなたは世界を正しい方向にもっていける」みたいなことをいうものだから、ジェリドのどこに一体そんな力があると思うのだろうか?とまた疑問を呼んだものでした。
このような私のジェリド観を根本から覆したのは、小説版を読んでからでした。
小説版では、物語冒頭、いきなりカミーユに殴られるシーンで、テレビ版では描いていない(抜け落ちた?削除された?)2つの重要なことが描かれています。
1.ジェリドはカミーユに殴られ、あごを砕かれていた・・テレビ版でもカミーユが空手道場をさぼるシーンがありますが、実はカミーユは空手をやっているため、ジェリドは、あごを砕かれていたのです。
2.それにもかかわらず、押さえつけられたカミーユの顔を蹴るシーンで、力を加減していた!
「ジェリド・メサはさすがに大人だった。力の入れようを加減しながらも、カミーユの鼻柱に靴先で蹴りをいれた」(小説より抜粋)
なんと、ジェリドは、顎をくだかれるほど殴られながら、相手が子供だから、力を加減して蹴っ飛ばしていたのです!!
もし、テレビ版のあのシーンでジェリドの考えが「こいつ、よくも・・・・だが、オレは大人だし、エリート軍人ティターンズだ。相手は子供だから力を加減しなきゃな・・・」と一言入っていれば、視聴者のジェリドへの視線も、ティターンズへの視線も、カミーユへの視線も変わったでしょう。
そう思ってジェリドをよく見直してみると・・
・上官の悪巧みに気づかず、カミーユの母狙撃。その後、カミーユにあったあと、「知らなかったんだ」「まだオッパイが恋しい年頃だもんな」「殴ってもいいんだぜ!」と言う。ふてぶししくも聞こえるが、実際はジェリドは相当罪悪感を感じていたと思われる。
・宇宙に出て、皆にバカにされ、自分の力不足を知り、恥をしのんでライラに頭をさげ、教えを請う。
・ジャブローでもバカにされるが、皆と共同で逃げようとする。また、ジャブロー行き自体が騙されたようなものであったが、ティターンズという組織に怒りを示したりはしない。他の人と醜い脱走劇を繰り広げながら「力のない者は死あるのみ」と自分に言い聞かせ、自分の行為を自分に納得させている。
・月でカミーユがつかまったさいにも、結果的に逃げるのに一役かっている。また、銃をカミーユに向けたりはしながらも、撃つことはない。
・宇宙ではシロッコにいいように使われるが、怒りもせず、シロッコに理解を示す。
「シロッコはオレが囮になれるだけの実力があるから使ってくれたんだろ。ありがたいと思うだけさ」
・毒ガス作戦という汚れ役も、キャリアのため(?)、ひきうける。
・幾度もカミーユを窮地に落としいれる。とくに21話、23話、24話、30話、36話と、カミーユを倒せるシチュエーションまでもっていきながら、自分でノロノロしたり、誰かがとめにはいったりで、しとめられない。
これは、ひとつには、結局ジェリドがカミーユの母の件で負い目を持っており、非情になりきれなかった面があると思われる。その気になれば、カミーユをしとめる機会は何度もあったのである。
・マウアーがやられたときは、怒りでガンダムシリーズ初の無敵モードを発動させる。
・念願かなって、ティターンズトップのジャミトフに会えるようになる。
・最後のカミーユとの対決での一言「オレはキサマほど人を殺しちゃいない!」
こうして見直してみると、ジェリドというのは、その容貌や発言とは異なり、実は、とても優しくて、忍耐強い人なのではないかと思えてきます。
@おそらく、カミーユの母を狙撃したことを後悔しており、それが「殴ってもいい」発言や、カミーユにとどめをさせないシーンにつながっている可能性がある。
A周囲からバカにされ(ライラ、ジャブロー)、上層部からも何度も騙され(カプセル狙撃、ジャブロー行き、シロッコのおとり)、毒ガス作戦の指揮などの汚れ役も命ぜられる。しかし、つねに、「いつかは自分が上にたってやる!」と念じて、怒りを静め、ステップアップを心がけている。その成果があって、スキルも向上するし、ティターンズトップのジャミトフと行動する立場にまでなる。
B中盤ではカミーユに勝ちそうなシーンは多い。彼が唯一怒りを爆発させたと思われるマウアーの弔いシーンでは、無敵モードを発動させている。シロッコが彼の戦績を調べ、サラなどの部下をまかせたり、囮につかったりといろいろ可能性を試したように、彼には、やはり、何かがあったのである。
つまり、彼は、本当は優しく、何度騙されても耐え、スキルとキャリアを地道にアップさせているのです。
そして、マウアーの時のように、怒りを本気で爆発させるとカミーユすら圧倒するスキルを持つキャラなのではないでしょうか?
それが、あの容貌と言葉遣いの悪さのために、いつも怒りを発散させている「バカ」なキャラという印象になってしまっているのではないでしょうか?
ところが、実際は、カミーユなどより、よほどできた、良い青年なのではないでしょうか?(時たま、自分より弱そうな奴と見ると殴りかかる悪い癖がありますが・・おそらく力は加減しているはず・・?)
こう考えてみて、初めて、なぜジェリドがカミーユのライバルなのかがわかります。
企画書によれば、Zガンダムのテーマは、「個人と組織のかかわり」でした。
そして「個人的な感情を吐き出すことが、事態を突破する上で、一番需要なことではないかと感じたのだ」という、Zガンダムのテーマを要約したシャアの言葉を地で行くのがカミーユです。
それに対し、ジェリドは、怒っているシーンでも、実は、常にぐっとこらえてしまいます。
カミーユに顎をくだかれても、ジャブローやシロッコのおとりになっても、上官から騙されても、周囲にバカにされ、笑われても・・全ては、自分のキャリアとスキルのアップのために、怒りを抑えようとするのです。
つまり、カミーユとジェリドの真の対比は、繊細なニュータイプの美少年と横暴で権威主義的な軍人青年の違いではなく、
・組織において、個人的な怒りを後先考えずに爆発させるキャラ
・組織において、怒るべきところで、ぐっとこらえて、スキルアップやキャリアアップを狙うキャラ
という点こそ、2人の真の違いと対立を示していたのではないでしょうか。
だからこそ、Zガンダムという「個人と組織の軋轢」(企画書より抜粋)がテーマの作品において、この二人はライバルとして位置づけられたのです。
どうも、富野監督はこの点に気づいていた(というか意識的にやっていた)ようです(当たり前ですが)。
インタビューより抜粋(富野語録)
(編集部)「ジェリドがカミーユと同じように急速に人格成長していますが、彼を変えたのはなんでしょうか?」
(富野監督)「生真面目さです。」
(編集部)「カミーユも急速に成長しましたが、伸びすぎという感じがしましたが。」
(富野監督)「ええ、ニュータイプですから。あ、ニュータイプだからじゃない。主人公だからです(笑)。」
組織の中で、生真面目に上昇のための努力を続けるジェリドと、組織の中で個人的な感情を爆発させることをテーマとする作品において主人公として成長するカミーユ。
テレビ版のZガンダムの真のテーマのひとつはその対比にあったのかもしれません。
そして、テレビ版のZガンダムのテーマが怒りの爆発である以上、じっと耐えて組織の中で努力するジェリドは、カミーユに比較するとひたすら惨めな目にあう役回りになったわけです。
さらに、テレビ版終了後は、監督から、失敗した作品(?)を代表する「バカ」として唯一名指しされます。
さて、今回の映画版「Zガンダム」では、作品のテーマ自体が変わりました。
もはや、カミーユは怒りを爆発させることはなくなり、救済されそうです。
一方、ジェリドは、惨めなシーンは全てきっちり残っているものの、彼の立派さを示すシーン(冒頭のいきなりなぐられるいきさつ、月でカミーユを逃がすシーン、無敵モードを発動させたり、カミーユを追い込むシーン、野望を語って我慢するシーン)などは全て削られています。
テーマの変更に伴うものなので仕方ないのですが、もはや文字通り単なる「バカ」です。これほど、ある意味可哀想なキャラもなかなかいないのではないでしょうか?
こうしてみると、私は、「ジェリド」という「バカ」に、何か、ほろ苦いものを感ぜずにはいられません。
もし、彼がもっと真面目そうな顔をして、言葉遣いが丁寧だったら、視聴者に対し、彼の全ての行動は全く別なイメージを与えたのではないでしょうか?
本当は、彼は、カミーユより、よほど繊細で素直で真面目な人間だったに違いありません。
人を殺すこと自体、カミーユより、最後まで抵抗があったのではないでしょうか?
おそらく、彼を応援していた女性達(ライラ、マウアー)は、他人には見えない彼の魅力に、気づいていたのでしょう。
だからこそ、それを守りたいと思ったのだと思います。
そして、マウアーは、カミーユのように個人的な怒りを見境なく爆発させたり、シロッコのように人をコマのように使ったりする人々よりも、組織の理不尽さに耐えながらも堅実にステップアップを図るジェリドの方が、新しい世界を導くのにふさわしい資質があると考えたのでしょう。
ジェリドを初めて見てからはや20年。昨日はじめて気づいたジェリドの良さでした。